
第一次世界大戦への参戦にロシア人がいかに反応したか
「ロシアは旋風に巻き込まれた。若い世代は『戦争だ、戦争だ!』と歓喜し、まるで何かとても喜ばしいことが起こったかのようだった。愛国心の高揚は凄まじかった」。ミハイル・アレクセーエフ大将の娘、ヴェーラは振り返る(*アレクセーエフは、第一次世界大戦中、ロシア最高司令部スタフカの参謀長を務め、2月革命後の臨時政府では、最高司令官、革命後のロシア内戦では、白軍の指揮官の一人となった)。
工場での各種ストライキは即座に止まった。都市部では、戦争を支持する集会が開かれ、「打倒ドイツ!」「ロシア万歳!」「皇帝万歳!」といったスローガンが響き渡った。
8月2日、セルビア人のミレンコ・ヴキチェヴィッチは、サンクトペテルブルクの冬宮前の広場(宮殿広場)にいた。そこには25万人もの人々が集まっていた。
「誰もが心から、そして生き生きと叫んでいた…そして誰もが敵に対する勝利を願っていた。ロシア全体がこの精神で満たされていたと言ってもいいだろう」
「祖国防衛のスローガンに心を奪われた。だからこそ、私自身にとっても家族にとって思いがけず、私は兵士になったのだ」。後のソ連元帥アレクサンドル・ヴァシレフスキーは回想している。
忠誠心が薄かった帝国の辺境においてさえ、愛国心は高まっていた。ヘルシンキでは、地元住民がドイツ人の一団に対して暴行を働き、ワルシャワでは、義勇兵が「スラヴ人を守るため」に大挙して軍に入隊した。
ところがその一方で、ほとんどの兵士は、戦争の理由をまったく理解していなかった。アレクセイ・ブルシーロフ大将はこう回想している(*ロシア帝国・同共和国・ソ連の軍人で、第一次世界大戦時は、「ブルシーロフ攻勢」を指揮している)。
「塹壕の中で、『なぜ戦うのか?』と、何度尋ねたことか。そしていつも、オーストリア皇太子夫妻が何者かに殺されたから、オーストリア軍はセルビア人を攻撃しようとしたのだ、という答えが返ってきた。しかし、セルビア人とはいったい何者なのか――誰も知らなかったし、スラヴ人とは何者なのか――これも曖昧模糊としていた。そして、なぜドイツ軍がセルビアをめぐって戦うことを決めたのか――これはもうまったく分からなかった…」