オペラとバレエの殿堂「ボリショイ劇場」に関する5つの事実
1. モスクワ初の一般公開された劇場だった
ペトロフスキー劇場――ボリショイ劇場は、ペトロフカ通りに面しているので、18世紀末にこう呼ばれていた――それは、モスクワ市初の、一般公開された劇場だ。1500人を収容できるホールのほかに、舞踏会や仮面舞踏会用のホール、遊戯用の部屋もあった。
2.創設者はイギリス人と考えられている
英国人マイケル・マドックスは、後に皇帝パーヴェル1世となるパーヴェル・ペトローヴィチ大公に物理学と数学を教えるために、ロシアにやって来た。彼は母国では、曲芸師としても知られ、ヘイマーケット劇場で成功を収めていた。
舞台への愛が縁となり、彼は、県の検事、ピョートル・ウルソフ公爵のビジネスパートナーになった。公爵は、モスクワで演劇、コンサート、仮面舞踏会を企画する特権をもっていた。その後、マドックスがそれを単独で所有することになる。そして1780年に彼は、ペトロフカ通りに劇場の最初の建物を建設した。
3.たびたび火災に見舞われる
木造建築が多かったモスクワは、しばしば火災に見舞われた。劇場もまた火災の被害を免れなかった。とくにひどい火災が、1805年、1812年(ナポレオンのロシア遠征の年)、1853年に起きた。最後のケースでは、建物は、ほぼ完全に灰燼に帰した。これを受けて、帝国劇場の主任建築家アリベルト・カヴォスが、建物の修復を任せられた。彼は、建物の外観はモダンにする一方、ホールの内装については、「ルネッサンス様式とビザンチン様式を混ぜ合わせた」。
4.チャイコフスキーの代表作がここで初演
この舞台で「白鳥の湖」と「エフゲニー・オネーギン」の初演が行われた。そして今日では、「くるみ割り人形」の公演が新年恒例となっている。それなしのお正月休みは考えられない。
5.アポロンのクアドリガは劇場のシンボルとなった
ボリショイ劇場の柱廊の上には、芸術の守護神アポロが操る、4頭の馬に引かれた二輪戦車「クアドリガ」がそびえ立っている。建築家アリベルト・カヴォスは、この彫刻で建物を飾ることに決め、その原型は、彫刻家ピョートル・クロートが制作した。
長年、アポロンは、裸で戦車を操縦していた。100ルーブル紙幣にも、その姿で描かれている。しかし、最近の修復の際に、この古代神は、イチジクの葉で「覆われた」。修復者たちは、残っている絵画などから、本来の彫刻はこうだったはずだと主張している。