偉大な学者ミハイル・ロモノーソフはモザイク画のイコンも制作した
彼はモザイク画に熱中したが、そこには芸術的な側面だけでなく、学術的な目的もあった。
18世紀半ばのロシアでは、モザイク芸術の技法はほぼ失われていた。当時、モザイク用色ガラスの製法の秘密はイタリアの職人たちが守っており、技法を伝えることには消極的だった。この問題に挑んだロモノーソフは科学者らしく、技法をコピーするのではなく、独自の技術開発に取り組むことにした。
聖ペトロ、ロモノーソフ、18世紀
1748年、ロモノーソフは自前の科学研究所の建設にこぎつけ、色ガラスを製造するべく、何千回もの実験を行った。特に注力したのは、金属が色合いに与える影響である。銅は緑色、金は真紅、アンチモンは黄色系統の色をもたらした。ロモノーソフは製法を確立し、ついに、イタリアにも劣らぬほどの多様な調色を実現した。こうしてようやく、モザイク画の制作に取り掛かることができた。
聖パウロ、ロモノーソフ、18世紀
1752年、ロモノーソフは女帝エリザベータ・ペトロヴナに自ら制作した聖母のモザイク画イコンを献上した。使用されたモザイクガラスは4000個以上で、作品は宮廷において大いに好評であった。翌年には技術的な試みとして、「自印聖像」の小さなイコン(11 × 9センチ)も制作した。
皇帝ピョートル1世(大帝)(1672~1725年)の肖像、サンクトペテルブルク、エルミタージュ美術館。
しかし、単独では大掛かりなモザイク画を制作することは不可能とロモノーソフ自身も理解していたため、1754年にモザイクガラスを製造する工場用地を取得した。この工場でガラス玉やビーズ、その他モザイク画の制作に必要な素材を製造し、並行して、モザイク職人たちの育成に取り組んだ。ロシア初のモザイク職人となったのは、科学アカデミー附属絵画院に所属していたマトヴェイ・ワシリエフとエフィム・メリニコフであった。そしてロモノーソフ自身も、多くの作品制作に参加した。
父なる神、モザイク、M・V・ロモノーソフの工房、18世紀(1756~1757年)
ロモノーソフが制作したイコンニには、アレクサンドル・ネフスキー像、使徒ペトロ、いくつかの聖母像がある。その制作技法は伝統的なものとは異なっていた。ロモノーソフはアウトラインだけではなく、質量や質感も表現しようと試みた。例えばイコンや肖像画では、ガラスの細かい素材を用いて生地のヒダやレース地を描写している。