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古代ロシアの装身具:どんなジュエリーで着飾っていたのか(写真特集)
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古代の宝石には、お守りの役割もあり、それは古代ロシアでも同じだった。それらは、身体上の、生命エネルギーが最も脆弱な場所、つまり脈拍が感じられるところに装着されていた。手首にはブレスレット、胸にはネックレスまたは肩かけ(肩衣)、こめかみには特別な女性用リングだ。男性も女性も、宝石を身に着けていた。
腕輪(オーブルチ)
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古代ロシアでは、ブレスレットは「オーブルチ」(「腕」〈ルカ―〉から派生)と呼ばれていた。考古学者が古代の男性の埋葬地からこれを見つけることはめったにないが、年代記には公や貴族が「腕輪をはめている」と記されている。「オーブルチ」は、男性にとっては力のしるしであり、女性にとっては豪華な装飾と考えられていた。
「オーブルチ」は、一面に模様を打ち出した革、薄い金属リボンを巻いて固めた丈夫な紐、一つの金属塊(銅、青銅、銀、鉄、金)、ガラスなどで作られていた。「両開き」のブレスレットもあり、2つの半円からなっていた。それらは、革または金属の留め具でつながれる仕組みで、モンゴル帝国の来襲以前から知られていた。
グリヴナ(首飾り)
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グリヴナ(「グリーヴァ」〈首〉から派生)は、いわゆる「トルク」であり、男性の特別な装飾品として、公からその親兵が、褒美および記章としてもらった(10~12世紀)。しかし、グリヴナは、スラヴ人女性の墓からも見つかるから、女性の装飾でもあったことが分かる。
装着するときは、開いた端を前にすることも後ろにすることもあった。また、一部を平らにして模様を付けることも。ねじって作ったグリヴナは非常に人気があった。グリヴナに厚みがないときは、ビーズ、丸い金属板の装飾、外国の貨幣、鈴などを上に重ねた。
こめかみの環飾り
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側頭部の環飾りは、ロシア人女性の主な「お守りの」装飾であり、男性は身につけなかった。単純な螺旋形をした初期の環飾りは、紀元前 3千年~4千年前に遡る。紀元9世紀には、複数の要素からなる複雑な環飾りがすでに典型的な、スラヴ人の装身具になっていた。
それらは、帽子などの頭飾りに取り付けられ、頭を囲む革紐または布片に付けられ、髪に織り込まれて、耳のところで固定される。
この環飾りは、さまざまな金属で作られたが、常に凝ったものだった。放射状にスコップまたは光線が放射状に突き出た環飾りがよく見つかる。7という数字は、古代からスラヴ人にとって神聖なものとされていた。この装飾の正確な名前は不明だ。
コルト
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コルトも、本当の名前が分かっていない女性用ジュエリーだ(コルトという名称は、19世紀に歴史家たちが用いるようになった)。これらは、円形、半円形、または星形の金属製ペンダントで、中が空洞になっている。それらは、頭飾りのリャスナに付けられた。リャスナは豪華に飾られた鎖だ。
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コルトは、さまざまな技術(金銀モール細工、黒色合金、針金細工など)を用いた装飾で覆われていた。この装飾は、結婚式に付き物で、成長と豊穣の象徴である新芽や木の模様がしばしば見られる。香料で湿らせた布片がコルトの空洞に入れられていたと考えられる。
フィブラ
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フィブラの主な役割は衣服を留めることだ。1つのフィブラで、上っ張り、マント、シャツを体に留められた。
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高価な凝ったフィブラはこれ見よがしに用いられ、その平らな両端は、草や動物の形をしていた。
指環(宝石入りのものも含む)
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男性も女性も指環をはめていた。指環は主に女性の装飾品だったが、男性や子供も用いていた(右手でも左手でもよかった)。歴史家ヴェーラ・ボコワの見解によると、この装飾品には性的な意味合いがあり、女子は、将来の夫と婚約した後にのみはめたという。
イヤリング
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考古学的資料を見ると、古代のイヤリングは、主に男性用で、しかも戦時における装飾だったようだ。イヤリングは、視力を良くするのに役立つと信じられており、それは戦闘に必要なことだった。
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古代ロシアの男性のピアスについては、別の記事で紹介している。もちろん、女性もイヤリングをしており、現在と同様に、女子はごく若い頃から耳にピアスをつける慣わしだった。