イワン雷帝が…作曲家だったことをご存じだろうか?

ロシア・ナビ(写真:ロシア国立図書館;トレチャコフ美術館)
ロシア・ナビ(写真:ロシア国立図書館;トレチャコフ美術館)
16世紀のイワン雷帝(4世)は、矛盾に満ちた人物だったが、当代最高の教養人の一人でもあり、作曲も手がけていた。

 イワン雷帝(4世)1530~1584年)は、統治者としてだけでなく、文筆家、そして神学者としても歴史に名を残している。15年以上にわたってオプリーチニナ(ツァーリの直轄領)の首都だったアレクサンドロフスカヤ・スロボダで、彼は一種の宮廷音楽院、あるいは聖歌隊学校のようなものを作り上げ、そこには、当時最高の聖歌隊員や作曲家たちが仕えていた。イワンは1551年、モスクワ教会会議(いわゆる「百章会議」〈ストグラフ・ソボール〉)にも参加しており、この会議では、教会聖歌の統一も進められた。

 ちなみに彼自身も、日々の礼拝に参加していた――ツァーリとしてではなく、聖歌隊員、そして一人の信徒としてだ。さらに彼は、スティヒラ(讃頌)の作者でもあった。スティヒラとは、朝課や晩課の際に歌われる祈祷用の聖歌である。これは『詩篇』の一節で始まり、何らかの教会祝祭や聖人を讃えるものだ。

 イワン雷帝が書いたスティヒラは2篇現存している。1篇目は、ティムールの脅威からロシアを救ったとされるイコン「ウラジーミルの聖母(生神女)」の祭日に捧げられたものだ。2篇目は、「モスクワの聖ピョートル」、すなわちこの都市最初の守護聖人に捧げられている。聖ピョートルは1325年、府主教座をキエフ(キーウ)からここへ移し、モスクワが将来ロシアの中心になると予言した人物だった。

 ツァーリは、このスティヒラの歌詞も音楽も自ら書いた。年間のすべての暦上の祝祭に対応する聖歌を収めた4巻本の曲集『輔祭の眼』では、彼の作品には「ロシアの君主、ツァーリのイオアンの作」と署名されている。