ロシア初の自動車はどのような姿だったのか?

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130年前ロシア初の自動車が公開された。

 その披露は1896年7月14日、ニジニ・ノヴゴロドで開かれた第16回全ロシア産業美術博覧会で行われた。フレーゼとヤコブレフによる「自走式馬車」は、2つの企業による共同開発だった。車体、走行装置、車輪はピョートル・フレーゼの工場が製造し、エンジンとトランスミッションはエヴゲニー・ヤコブレフの工場が手がけた。

 外見は、開放型の馬車である「プロレトカ」に非常によく似ていた。重さは約300キログラムで、水冷式の2馬力の内燃エンジンを搭載していた。車輪は木製でゴムタイヤを装着し、後輪は前輪よりも大きかった。2人乗りのこの車は最高時速20キロメートルまで加速でき、ガソリンは10時間の連続走行分を積むことができた。

 この協力関係は1898年にヤコブレフが亡くなるまで続いた。彼の後継者たちは工場の方向を転換したため、フレーゼは海外でエンジンを探さなければならなくなった。その後、フレーゼは自身の会社をルースコ・バルト車両工場の自動車部門に売却し、事業から退いた。

 最初の「自走式馬車」のその後の運命、そしてそれをモデルに製造された自動車の台数については、今も分かっていない。