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ニヴァリャーシカ:ソ連のもっとも有名な人形に関する5つの事実
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1. 絶対に倒れない
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ニヴァリャーシカは2つの空洞の球体から成っている。構造の秘密は、下の球体の中に特別な重りが入っていることである。人形の重心は、どんなに倒そうとしても必ず真っ直ぐ起き上がるように作られている。
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ニヴァリャーシカという言葉は、「ヴァリャッツァ」(倒れる)という単語からきている。つまり、「倒れない」人形という意味である。実はもう一つの名前があり、「ワーニカ・フスターニカ」といって、こちらは男の子の名前イワンの愛称「ワーニカ」と「起き上がれ」という言葉からできている。
2. ソ連の子どもたちはみんな持っていた
「ニヴァリャーシカ」のほとんどは愛らしいまつ毛をした赤ん坊の姿をしている。頭には白い帽子、丸い手には白いミトンをつけてる。ソ連時代、子どもは皆、この人形を持っていた。運動協調性が発達し始めた小さな子どもにとってこの人形は役に立つと考えられていたのである。
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このニヴァリャーシカは世代から世代へと受け継がれた。今も、屋根裏部屋などにこの人形が置いてあるという人も多い。あるいは昔を懐かしんで、同じような人形や、現代版のニヴァリャーシカを自分の子どものために探しているという人もいる。
3. マトリョーシカの妹分
ロシアのもっとも有名な人形といえば、マトリョーシカである。人形の中にだんだんサイズが小さくなった同じ人形がいくつも入っているというものである。マトリョーシカはロシアの人気のお土産品となったが、ニヴァリャーシカも知名度では負けていない。ニヴァリャーシカはマトリョーシカの丸い形をモデルに作られた。
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初めて木製の起き上がり小法師がロシアで作られたのは19世紀初頭のことである。職人たちは手書きで色鮮やかな絵を描いた。そしてこの人形は帝政ロシア時代のマーケットで欠かせないものになった。
4. 東洋のルーツを持っている
複数の資料によれば、起き上がり小法師が初めて作られたのは中国である。粘土でできた「不倒翁」は6世紀にはすでに知られていた。おそらくそこから日本に広まったとされる。日本には起き上がり小法師、そして幸運をもたらすダルマがある。
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アジアの起き上がり小法師は、お土産としてヨーロッパに渡った。フランスにはculbutoやramponneau、ドイツには木製のStehaufmännchen(起き上がる人の意)がある。
1970年代、アメリカでは、プレイスクール社の卵に似た有名な人形Weeblesが登場した。英語でこのタイプの人形はround-bottomed doll(直訳で底の丸い人形)またはロリー・ポリーと呼ばれる(また危険を感じると体をボール状に丸めるタマヤスデとも呼ばれる)。
5. 火薬工場で作られている
ニヴァリャーシカはソ連時代に大きな人気を博した。そしておそらくこの人形に関する最大の事実は、このかわいい人形がタンボフ火薬工場で作られているということだろう。
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1957年、第二次世界大戦時に国に火薬や弾薬を供給した「恐ろしい」企業が火薬製造から出る大量の廃棄物(セルロイド)を使って、民間のものを作ることにした。そして子どもたちを喜ばせる人形が製造されることになったのである。1960年代初頭には50万体が製造され、この人形は積極的に輸出されるようになった。しかも、社会主義陣営の国だけでなく、アメリカ、中国、南米などにも販売された。
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後になり、セルロイドよりも燃えにくい別の素材―無色透明のプラスティックを使って作られるようになった。防衛産業分野での注文がなくなった1990年代には、このニヴァリャーシカの生産によって、工場は閉鎖を免れた。工場が置かれているタンボフ州コトフスク市には記念碑も建てられている。
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ニヴァリャーシカは今もタンボフの火薬工場で作られており、今では30以上の種類がある。
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