ソ連の指導者たちはどのように新年を祝っていたのか
レーニンからブレジネフまで、それぞれの祝い方は、その人物像と時代背景を映し出している。
レーニンは新年の休暇中もたいてい仕事をしていた。晩年になってようやく、ゴールキの自宅で祝宴を開くようになり、近隣の村々から子どもたちを招いていた。当時は厳しい時代で、子どもたちに贈られたのはいくつかのキャンディーや、素朴な角砂糖だった。
祝祭の場で農民の一団とともに写る、ウラジーミル・イリイチ・レーニンとナジェージダ・コンスタンチノヴナ・クループスカヤ
スターリンはクレムリンで盛大な宴会を催し、芸術家たちを招いていた。彼らは指導者のテーブルの前に設けられた舞台で演目を披露し、その後ワインを飲むために席へ招かれた。また、親族や側近たちとの家庭的な集まりも好んでおり、例えばブジョーンヌイ元帥がバヤンの演奏で彼を楽しませたこともある。テーブルにはスターリンが好んだグルジア(ジョージア)ワインを含むあらゆる種類の酒が並んだが、彼自身はしばしば、別のデキャンタに用意されたただの水を飲んでいた。
ヨシフ・スターリン、クリメント・ヴォロシーロフ、ヴャチェスラフ・モロトフ
ニキータ・フルシチョフは、職場の同僚と新年を迎えるというスタイルを広めた。クレムリンでの宴会には各分野の専門家を招き、1年を総括し、将来の計画を語った。彼は、客が常に飲んでいるかどうかを自ら確認していたが、自身は底が二重になったグラスを使い、実際にはごく少量しか飲まなかった。
クレムリン大宮殿での子ども向け新年祝賀会に出席するニキータ・フルシチョフ
レオニード・ブレジネフは「新年は家族の祝日」という考えを社会に浸透させた。彼の時代になると、クレムリンでの大規模な宴会はなくなった。自宅やダーチャでは家族や親しい友人たちとともに踊り、昔話をし、軍歌を歌って過ごした。祝宴は1月2日まで断続的に続くこともあった。ブレジネフの酒はソ連産シャンパンと「ズブロフカ」という苦味のあるウォッカに限られていた。