偽ドミトリーはいかにしてモスクワ川に「地獄への門」を開いたのか

キラ・リシツカヤ(写真:Open AI;パブリックドメイン)
キラ・リシツカヤ(写真:Open AI;パブリックドメイン)
「悪魔のしわざだ!」――モスクワ川の岸辺に設えられた不気味な見世物を目にした町の人々は、肝をつぶして胸を押さえ、あわてて教会へ駆け込んだ。いっぽう、もう少し胆の据わった者たちは十字を切り、小声で、都の権力を奪い取った偽ドミトリー1世をののしった。

 偽ドミトリー1世は、「大動乱」の時代に、イワン4世(雷帝)の末子ドミトリーを僭称し、ポーランドに支持されて、ツァーリとして即位した。1606年の冬、彼は「地獄をかたどった悪魔の遊戯」を催した。

 オランダ人商人イサーク・マッサは、『モスクワ大公国小誌』の中で、クレムリンの真正面、モスクワ川の岸に、見世物用の地獄が築かれた様子を伝えている。小さな大砲を備え、火と煙を噴き上げる移動式の要塞には、地獄の姿が描かれていた。

 同時代の証言の中には、こう語るものもある。偽ドミトリーの居室からは、3つの頭を持つ地獄が見え、その顎には青銅の鈴が取り付けられ、口や耳から炎が噴き出していた、と。

ヴィクトル・ヴァスネツォフの家博物館 使者たち、早朝のクレムリン、17世紀初頭
ヴィクトル・ヴァスネツォフの家博物館

 まるで町のただ中に地獄への門が開いたかのような印象を作り出すため、この要塞からは時おり、悪魔の仮装をした者たちが現れ、ひとしきり芝居を演じた。ぼんやり見物している通行人に水を浴びせたり、タールを塗りつけたりした。

 この簒奪者については、それ以前から魔術師でサタンと通じているという噂が立っていたが、このような要塞の出現は、その噂をいっそう裏づけることになった。実際には、これはタタール人を威嚇するために建てられたものだった。そのおぞましさは、どんな侵略者をも逃げ出させるに足るものだった。

 イサーク・マッサによれば、モスクワの住民たちはこの要塞を「地獄の怪物」と呼ぶようになり、偽ドミトリーがそこに悪魔を閉じ込めたのだと信じていた。そして、この簒奪者が殺されると、その建造物もまた焼き払われた。