若きフランス人がいかにして帝政ロシア全土に香水を広めたか

1842年、23歳のフランス人、アルフォン・ラレーがモスクワにやって来た。その1年後には、自分の香水工場を設立し、香水、石鹸、コロン、パウダー、口紅、クリームなど、あらゆる種類の「香りのよい商品」の生産を開始した。

早くも1855年には、「皇帝陛下の宮廷御用達」の称号を受けている。それは、製品の最高品質を証明し、パッケージにロシアの紋章を入れる権利を与えた。同社はその後、この称号をさらに3回も受けている。

1860年代には、ラレーとその新しいパートナーであるエミール・ボードランは、すでにモスクワとハリコフに2つの工場を所有しており、どちらも200人ほどの労働者を雇っていた。1860年代末に、ラレー自身はフランスに戻ったが、顧客の信頼を獲得していた「アルフォン・ラレー」(Alphonse Rallet & Co.)のブランドはそのまま残り、1918年まで社名を変更しなかった。

この会社は、多種多様な製品で有名だった。最も重要な製品としては、年間240万個以上の石鹸、150万個のヘアポマード、23万8千本の香水、16万3400本のコロン、2万3千箱の米粉などがあった。

また、同社は、香りのよいオイル、定着剤、歯磨き粉、フェイスクリーム、そして生活空間の空気を清浄にする、さまざまな製品も製造していた。アロマウォーター、紙のお香、芳香を放つキャンドルなどだ。1880年代には、同社の製品は、ロシアにおける化粧品生産全体の実に37%を占めていた。

新時代
1898年、新たな段階が始まった。18世紀からすでに有名だったフランスの香水会社「Chiris」が工場を買収したからだ。グラースを拠点とするこの家族経営の会社は、ヨーロッパ全土の香水業界向けに植物由来の原材料を作る大手企業だった。
1899年、新しい所有者は、大工場を建設し、最新の設備を備えた。
同社の香水事業の全盛期は、20世紀初頭に到来した。この時、会社の幹部の一人だった有名なアドルフ・ルメルシエが主任調香師になった。そして、1902年以来、彼の指導の下で、調香師の息子であるエルネスト・ボーの才能が開花する。今日では、ボーは、史上最も有名な調香師の一人であり、伝説の香水「シャネルNo.5」の生みの親だ。

ボーの最初の成功は、モスクワにおいてで、花の香りの香水とコロン「ツァーリのヒース」を作ったときだった。1912年、彼のもう一つの製品が大きな話題を呼んだ。1812年の祖国戦争(ナポレオンのロシア遠征)の100周年を記念して発売された香水「ブーケ・ド・ナポレオン」(ナポレオンの花束)だ。
この工場の香水は、フランスの技術と、名高い「香水の都」、グラースから届いたエッセンスとを使って作られた。また、世界中の他の芳香成分も、フランスの供給業者を通じて入手された。例えば、インド洋のレユニオン島とアルジェリア産のゼラニウムエッセンス、ブルガリア産のローズオイル、フィリピン産のイランイランノキなどだ。
見事な宣伝戦略、そして新ブランド名

オーナーらは、製品の品質とエレガントなパッケージの両方で顧客を引き付けようとした。色彩豊かなデザインの段ボール箱、粉や石鹸を入れるブリキの箱、複数の仕切りに引き出しが付いた旅行用の箱などが使われた。
すでに1860年代には、モスクワで、さまざまな形のガラス瓶や彫刻的な栓が、生産され始めていた。例えば、シリーズ「ナポレオンの花束」のボトルの栓には、フランスの鷲が描かれており、購入者には特典として、色鮮やかな記念アルバム「祖国戦争100周年記念」が贈られた。そこには、レフ・トルストイの小説『戦争と平和』の抜粋と絵が描かれていた。

同社は多額の広告費を投じ、ロゴ入りのポストカード、ノート、カレンダー、鉛筆などを発売した。1893年の新年に向けて、ラレー社は、特別な広告カレンダーをリリースしたが、こうした試みを行った最初のロシア企業の1つだった。
このカレンダーについては、後に広告の作り方のマニュアルにも、その概要が掲載された。「モスクワの広告で最もエレガントなのは、非常にエレガントな水彩の装飾模様と、日々のメモのための白紙のページが付いた、無料で配布されるカレンダーだ」

ラレー工場の製品は、1900年のパリ万国博覧会で大成功を収め、同社は、最高賞であるグランプリを受賞した。当時、その製品はすでにロシア全土の住民に知られていた。その社史に次のように記されているのは偶然ではない。「ロシアでは、同社の作品が浸透していない場所はどこにもないようだ」

1917年の革命後、工場は国有化され、エルネスト・ボーはフランスへ去った。そして、1922年に「スヴォボーダ(自由)工場」に改名され、今なお、当初のプロフィールに従って操業を続けている。
*この記事は要約版であり、オリジナルは雑誌『ロシアの世界』に掲載された。