1941年に赤軍が解放した10都市:大祖国戦争(独ソ戦)の緒戦における成功
1.カリーニン(現在のトヴェリ州トヴェリ市)
ドイツの中央軍集団は、10月14日、カリーニンに進軍し、3日後には完全に制圧した。ドイツ軍の占領下、前線は常に市街のすぐ近くにあり、赤軍は、幾度となく奪還を試みた。
12月5日、モスクワ近郊で、赤軍による大規模な反撃が始まり(モスクワの戦い)、そのさなかの12月16日に、カリーニンは解放された。この重要な戦略拠点を赤軍が奪回したことにより、ソ連の首都を包囲するというドイツ軍の計画は、ついに葬り去られた。
2.ヴォロコラムスク(モスクワ州)
ドイツ軍は、10月27日にこの都市を占領した。しかし、12月20日、アンドレイ・ヴラソフ少将が率いる第20突撃軍によって解放された。ヴラソフは、1942年に捕虜になった後、ドイツ側に寝返った。
占領中、ドイツ軍は、捕虜となった赤軍兵士126人を生きたまま焼き殺し、民間人86人を射殺している。
3.ミハイロフ(リャザン州)
ミハイロフ市は、11月24日に敵の支配下に入った。ここでドイツ軍は、さらにリャザンへ進攻するために、軍を再編成する計画を立てた。
しかし、赤軍による大規模な反撃(モスクワの戦い)の3日目、12月7日には、既に都市は解放されている。しかも、ドイツ軍にとって、その攻撃は、あまりにも予想外で、しかも迅速だったため、急遽撤退する際に、装甲車両の大半を放棄した。
4.タルーサ(カルーガ州)
ドイツ軍は、10月末に占領したタルーサを、長期間、頑強に守った。この街は、2つの川の合流点に位置しており、ドイツ軍にとって強固な防衛体制を築くのに役立った。
タルーサへの赤軍の攻撃は、しばらく砲撃を加えた後で、複数の方向から開始された。12月19日、数日間の熾烈な戦闘の後、赤軍はこの都市を解放した。
5.アレクシン(トゥーラ州)
ドイツ軍は、アレクシン市を経由して、モスクワ・トゥーラ間の重要な幹線道路への到達を目指した。赤軍の頑強な抵抗にもかかわらず、ドイツ軍は、11月29日にアレクシン市を占領した。しかし、敵はそれ以上進撃することができず、12月17日にアレクシンは解放された。
6.カルーガ(カルーガ州)
ドイツ軍は、10月12日にカルーガを占領した。解放のため、ワシリー・ポポフ少将麾下の機動部隊が編成された。
同部隊は、90キロメートル進軍し、12月21日早朝、カルーガ郊外に到達して、敵の守備隊を驚かせた。こうして戦闘が始まった。2日後、第50軍の主力部隊が救援に駆けつけ、12月30日にカルーガは完全に解放された。
7.ベリョーフ(トゥーラ州)
10月24日に始まった占領期間中、ドイツ軍は、この都市を著しく損ない、多くの工場や住宅を破壊し、薪をとるために市公園の樹木を切り倒した。
12月31日の大晦日、赤軍は都市を解放した。しかし、ソ連軍のさらなる進撃は阻まれ、1943年まで、前線は、市からわずか10キロメートルしか離れていなかった。
8.クリン(モスクワ州)
11月23日、ドイツ軍は、モスクワ近郊のクリンを、南西と北東の方向から囲んだ。包囲に陥るのを避けるため、第16軍の部隊は、この都市から撤退した。
その後、赤軍は反攻に転じ、逆に、敵に対する包囲網の形成に成功した。12月13日、クリンのドイツ軍守備隊は包囲されたが、降伏を拒否した。12月15日、赤軍の総攻撃の結果、都市は完全に解放された。
9.エレツ(リペツク州)
リペツク州エレツ市の占領は、期間は5日間にすぎなかった。しかしこの間、ドイツ軍は、捕虜となった赤軍兵士77人を射殺し、住民300人をドイツへ連行して強制労働させ、発電所を含む500棟以上の建物を破壊した。
12月7日、ソ連軍は、市の東郊外に突入し、12月8日には既に市の中心部で戦闘が行われており、翌日には市は解放された。
10.チフヴィン(レニングラード州)
1941年末、モスクワ近郊での反撃(モスクワの戦い)により、この地域のほとんどの都市が解放された。一方、赤軍は、他の地域の戦線でも成功を収めた。
12月9日、11月8日にドイツ軍の手に落ちていたレニングラード州チフヴィン市が解放された。こうして赤軍は、フィンランド軍と合流してレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)周辺を完全に封鎖するというドイツ軍の計画を阻止した。さらに、包囲下のレニングラードへの物資輸送経路は、距離が6分の1にまで縮小した。