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ソ連はいかに朝鮮戦争に参加したか

MiG-15第一線戦闘機
Sputnik
朝鮮戦争(1950~1953年)は、現在も公式には、終戦ではなく休戦状態だ。ソ連がこの紛争に加わった経緯は?

 1950年6月25日早朝、北朝鮮軍が韓国に侵攻し、朝鮮戦争が始まった。ソ連と中国は、北朝鮮を支援し、アメリカ率いる国連軍が韓国側についた。

 この紛争へのソ連の介入は、当初は、ごく限定的だった。ソ連の軍事顧問を前線に派遣してほしいとの金日成主席の要請は、拒否された。そして、ソ連軍将校は、プラウダ紙の特派員を装って司令部に常駐するか、教官として活動することになっていた。 

 また、少なからぬ朝鮮系ソ連国民が志願兵として戦闘に参加することを希望したが、それも許可されなかった。

 しかし、同年秋、国連軍と韓国軍による大規模な反撃の後、状況は一変した。北朝鮮は、崩壊の危機に瀕し、中国とソ連に対して、必死に支援を求めた。

 中国は朝鮮半島に、「中国人民志願軍」の師団の派遣を決め、ソ連は、第64戦闘航空軍団を派遣した。1951年半ば、戦線は安定し、空中戦が活発化した。

1950年から1953年にかけて韓国で戦闘に参加したソ連軍パイロット(左から)セルゲイ・クラマレンコ大尉、セラフィム・スボチン少佐、グリゴリー・ゲス大尉。写真複製
A. ポクタレワ / Sputnik

 ソ連のパイロットには、中国の軍服、中国の偽名、それに応じた書類が与えられ、彼らの戦闘機「MiG-15」には、中国人民解放軍空軍の識別マークが塗られた。

 戦争の全期間を通じて、ソ連機は、1097機の敵機を撃墜し、各種資料によると、319~335機の航空機を失った。空中戦で約120人が死亡した。

 エヴゲニー・ペペリャエフ(撃墜数20~23)とニコライ・スチャギン(撃墜数22)は、朝鮮戦争で最高のエースパイロットとなった。一方、アメリカのエースパイロット、ジョセフ・マッコーネルの撃墜数は16機にとどまっている。