この日、ロシア初の世界一周航海が始まった

ロシア・ナビ(写真: N.N. ズボフ (CC BY-SA 4.0), パブリックドメイン, Klipartz)
ロシア・ナビ(写真: N.N. ズボフ (CC BY-SA 4.0), パブリックドメイン, Klipartz)
1803年8月7日、イワン・クルゼンシュテルンとユーリー・リシャンスキーの指揮の下、ロシア初の世界一周航海が始まった。

 この大航海には、外交官のニコライ・レザノフも同行していた。詩人アンドレイ・ヴォズネセンスキーの詩『アヴォーシ』や作曲家アレクセイ・ルィブニコフのロックオペラ『ユノーナとアヴォーシ』(いずれも帆船の名)を通して、レザノフのロマンチックなイメージは広く知られている。

 クルゼンシュテルンが指揮する旗艦「ナジェージダ」とリシャンスキー指揮下の「ネヴァ」は、クロンシュタットを出港し、ロンドン、カナリア諸島を経由して、赤道を越えてブラジルへ向かった。その後、太平洋の島々へと進み、そこで彼らは、鉄と食料を交換した。

 マルキーズ諸島では、探検家たちは、現地人のタトゥーの技術に驚嘆した。水夫たちが刺青を入れただけでなく、クルゼンシュテルン自身も、腕に妻の名前を彫った。フョードル・トルストイ伯爵(探検後に「アメリカ人」というあだ名がついた)もこの地で…自分の体にいろんな刺青を入れ出し、いわばタトゥーのコレクションを始めた。

 そこから船は、日本へ向かったが、外交・通商をめぐる幕府との交渉は物別れに終わり、カムチャッカ半島、中国を経て、ついにクロンシュタットへ帰還した。計3年間の航海だった。ナジェージダ号はネヴァ号より、帰港が2週間遅れたが、これはリシャンスキーが航路を変更して早く帰国することに決めたためだ。

 探検中、より精密な地図が作られ、多くの空白とグレーゾーンが除かれた。また、大西洋と太平洋における「赤道反流」が発見され、水深400メートルまでの水温が測定され、海の発光の原因が解明され、総合博物館「クンストカメラ」用の展示品が収集された。

 探検の目的がすべて達成されたわけではないが(例えば、日本との外交・貿易関係を確立することはできなかった)、ロシアによる初の世界一周航海は、ロシアの科学、政治、経済の発展における重要な節目となった。

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