1945年夏、ナチスはソ連に対し原子力爆弾による攻撃を計画していた
少なくとも、第三帝国のプロパガンダ政策を主導した一人であったヴェルナー・ヴェヒターSA中将は、そのように考えていた。ソ連の国家保安機関は1945年10月10日に彼を尋問している。
ヴェヒターは産業界および秘密兵器の開発陣と緊密な関係にあった。その証言によると、ドイツ降伏の数カ月前にヴェヒターは彼らから、「近々前線で使われる予定の、最新兵器の製造に注力している」と言われたという。
ヴェヒターによると、1945年春に「長大な航続距離を有する、最新設計の航空機」が実用化される見込みで、この新型機を使って、ウラルと中央アジアにあるソ連の中心的工業地帯に原子力爆弾を投下する計画であったという。
尋問に対しヴェヒターは、ソ連に対し原爆の使用が予定されている正確な時期は把握していないとしたが、1945年6月であった筈だと推測している。しかしながら、彼はどの極秘施設も訪れたことがなく、その推測は全て、専門家との談話から導き出されたものだったという。
ナチスドイツが大量破壊兵器の開発にどの程度近づいていたかは、現在でも議論の対象となっている。だが第三帝国崩壊時、ナチスは未だ原爆の開発には程遠かったという意見が優勢だ。