なぜイギリスの帽子がロシアの都市にちなんで名付けられたのか?
それは、1853~1856年のクリミア戦争中に起きた。この戦争では、ロシア帝国と、イギリス、フランス、オスマン帝国、サルデーニャ王国の連合軍とが戦った。
連合軍は、クリミア半島のセヴァストポリを包囲した。イギリス軍は、バラクラヴァ(現在のセヴァストポリの一部)に布陣していたが、1854~1855年の冬、防寒着が非常に不足していたため、寒さに大いに苦しんだ。
ロンドンのマスコミはこの窮状を察知し、スキャンダルが持ち上がった。英軍事当局は、暖かい毛糸の帽子を製造してクリミアにできるだけ早く送るよう命じた。帽子は、頭と首を覆い、目、口、鼻の穴が開いたものだった。
凍えるイギリス兵にとって、これはまさに救いとなった。この大成功した発明は、世界中に広まり、今なお、漁師、登山家、特殊部隊の兵士など多数の人々に、盛んに愛用されている。現在では、より実用的なデザインとなり、軽量素材で作られている。
臨時の英国軍陣地にちなみ、この帽子はバラクラバと名付けられた。