モスクワ近郊でドイツ軍を打ち破ったのは「冬将軍」だったというのは本当か

Samariy Gurariy / Sputnik
Samariy Gurariy / Sputnik
1941年11月末までに、ドイツ国防軍は、ソ連の首都のすぐ目前に迫っていた。ナチスには、最後の決定的な一撃を放てば都市は陥落するように思われた。

 しかし、彼らを待っていたのは、勝利の凱歌ではなく破局だった。12月5日、赤軍が大規模な反攻に出て、敵をモスクワから100〜250キロメートル押し戻したのである。

 この失敗の「犯人」として第三帝国の宣伝担当者が挙げたのは、苛烈なロシアの冬だった。のちにハインツ・グデーリアン将軍も回想録で、「自分ひとりでは、しかも氷点下35度の寒さの中では、東部戦線全体をひっくり返すなど到底できなかった」と嘆いている。

 だが実際のところ、11月の気温が氷点下10度を下回ることはめったになかった。そして当時の天候は、むしろドイツ軍に味方していたのだ。「寒さで沼地が凍り、ドイツの戦車部隊や自動車化部隊は…行動の自由を大きく得た…。敵の指揮官は道路外でも戦車を使うようになった」。赤軍のコンスタンチン・ロコソフスキー元帥は、こう回想している。

 強烈な氷点下23度の冷え込みが襲ったのは、ちょうど12月の反攻開始のころだった。ソ連の兵士たちは、深い雪に足を取られ、寒さに苦しみながら攻撃に向かわねばならなかった一方、敵はモスクワ近郊の村の暖かい家屋に入って防御していた。

 確かにドイツ軍は寒さに苦しんだ。彼らは、勝利で終わる短期の軍事作戦を見込み、防寒装備の準備を怠っていたのである。もっとも、赤軍でも当時、誰もが防寒外套を手にしていたわけではなかった。さらに、低温のもとでは機械も敵味方を問わず故障しやすかった。

 要するに「冬将軍」は誰に対しても戦っていたのであり、ドイツ軍の失敗の原因がそれだったわけではない。決定的だったのは、ソ連軍の粘り強い抵抗である。ドイツ軍の部隊は、消耗しきった状態で、力も余力も限界に達してモスクワに近づいていた。激戦で多くの貴重な人材を失い、補給・輸送(ロジスティクス)の問題も積み重なっていたのだ。そこへ一撃を受けると、カードの家のように崩れ落ちた。