ロシアの皇帝たちが恐れた5つのもの

キラ・リシツカヤ(写真:トレチャコフ美術館、OpenAI)
キラ・リシツカヤ(写真:トレチャコフ美術館、OpenAI)
「神に選ばれた君主」という地位にありながら、皇帝たちは陰謀や反乱、さらにはゴキブリといった、きわめて現世的なものを恐れていた。

1.陰謀と非業の死への恐怖

ロシア・ナビ(OpenAIによって作成)
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 王座と命を失うことへの恐怖は、16世紀のイワン雷帝(4世)(1530~1584年)以降、ほとんどすべての君主につきまとった。幼少期を貴族たちの陰謀のただ中で過ごしたイワン雷帝は、晩年にはすっかり疑心暗鬼に陥った。あらゆるところに陰謀を見いだし、オプリーチニナによる恐怖政治でそれに対抗したのである。

 18世紀、宮廷クーデターが相次いだ時代になると、夜中に暗殺されることへの恐怖が広まった。近衛軍のクーデターによって即位した女帝エリザヴェータ・ペトロヴナ(1709~1762年)は、自分も同じ運命をたどるのではないかと、死ぬまで恐れ続けた。

 甥のピョートル3世(1728~1762年)もまた、常にその時を待つかのように暮らしていた。そして予感した通り、廃位され、殺害された。

 パーヴェル1世(1754~1801年)は毒殺や陰謀を恐れていたが、まさに彼が恐れていた陰謀によって命を落とした。

 「解放者」として歴史に名を残したアレクサンドル2世(1818~1881年)――農奴制を廃止した皇帝である――は、7度の暗殺未遂に遭った。そして最後の襲撃で命を落とした。その息子アレクサンドル3世(1845~1894年)も、父から皇帝暗殺への恐怖を受け継いだ。

2.民衆反乱と革命への恐怖

ロシア・ナビ(OpenAIによって作成)
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 ニコライ1世(1796~1855年)は、即位初日に起こったデカブリストの乱を経験して以来、ヨーロッパから広がる「革命の伝染」を心底恐れていた。自由主義的な議論にさえ陰謀を見いだし、可能な限りロシアを現状のまま固定しようとした。

 この恐怖は孫のアレクサンドル3世にも受け継がれた。父が暗殺されたことで、自由主義的な譲歩は王朝の破滅につながるという確信をさらに強め、いわゆる「反改革」路線を採用した。

 最後の皇帝ニコライ2世(1868~1918年)もこの恐怖を共有していたが、その表れ方は異なっていた。彼は社会との対立を恐れる一方で、議会も自らの閣僚たちも信用していなかった。中途半端で場当たり的な政策に終始し、そのことが多くの点で革命へとつながっていった。

3.罪悪感の重圧と幼少期のトラウマ

ロシア・ナビ(OpenAIによって作成)
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 困難な幼少期の最も顕著な例は、パーヴェル1世である。彼は生まれてすぐ乳母たちに預けられ、その乳母たちは家の精霊や幽霊の話をして幼い彼を怖がらせた。そのためもあってか、彼は不安が強く、猜疑心の深い人物へと成長した。

 その息子アレクサンドル1世(1777~1825年)は、父の殺害に対する重い罪悪感を背負っていた。その思いは生涯にわたって彼を苦しめ続けた。彼が恐れていたのは死そのものではなく、報いを受けることだった。そして最後には神秘主義へと傾斜していった。

 ニコライ2世は、強大な父アレクサンドル3世の影のもとで育ち、幼いころから父の期待に応えられないことを恐れていた。自分は弱く、統治者になる準備もできていないと感じていたのである。この自信のなさが優柔不断を生み、危機的な局面では致命的な無為へとつながった。

4.非合理的な恐怖症

ロシア・ナビ(OpenAIによって作成)
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 こうした奇妙な恐怖は政治とは直接関係しなかったが、君主たちの日常生活には大きな影響を及ぼしていた。

 巨漢であり改革者でもあったピョートル1世(1672~1725年)は、ゴキブリを病的なまでに恐れていた。目にすると失神しかけ、部屋から逃げ出したという。14歳までは水も怖がっていたが、その恐怖を克服し、やがてロシア海軍を創設した。また、高い天井も好まなかった。

 エリザヴェータ・ペトロヴナは暗闇を恐れたため、寝室で1人になることは決してなかった。ピョートル3世は大砲の砲声を恐れていた。軍人としてはなんとも奇妙な恐怖だった。

 ニコライ1世は、一部の証言によれば、冷たい食べ物と突然の大きな音を怖がったという。

5.超自然的なものへの恐怖

ロシア・ナビ(OpenAIによって作成)
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 多くのロシア皇帝に共通していたのが、前兆や呪術、予言を信じることだった。イワン雷帝は、魔術師たちが自分に呪いをかけようとしていると本気で信じていた。ロマノフ朝第2代ツァーリ、アレクセイ・ミハイロヴィチ(1629~1676年)は「悪霊」を恐れ、身を守るために数多くの儀式を行っていた。

 アレクサンドル1世は神秘主義に傾倒し、降霊会に出席したり、聖書の中に自らの運命を告げる予言を探したりした。ニコライ2世は運命論者だった。戴冠式の日に起きたホディンカの惨事や流れ星などを前兆と受け止め、さらに「長老」グリゴリー・ラスプーチンを神の使者と考え、深く信頼していた(*ホディンカの惨事:戴冠式の数日後、モスクワ郊外のホディンカ平原の記念祝賀会場に来訪した大群衆の中で、将棋倒し事故が発生し、多数が圧死・負傷した)。