
ロシアの学校制服の変遷:19世紀から現代まで(写真特集)

ギムナジウム生徒と貴族令嬢

ロシアでは、18世紀末から19世紀初めにかけて、学校制服が導入された。孤児院、貴族の子女のためのギムナジウム、そして女子教育機関では、制服着用が義務付けられた。もっとも、制服に関する統一された規定はなかったが。

制服の公式の導入年は、1834年だと考えられている。この年、皇帝ニコライ1世は、学生服を含む、民間人の制服に関する規則を承認した。
男子の制服は、軍服に似ており、帽子、詰襟、外套、背嚢を着用した。色や装飾は、教育機関によって異なっていた。
19世紀を通してスタイルは変化し、制服は濃い緑か青が最も多くなった。

そして、ギムナジウムの女子生徒は、襟の高い黒いドレス、エプロン、ケープを着用。フォーマルウェアには白、普段着には黒を着ていた。
ソ連時代

1917年の革命後、制服の義務化は廃止される一方で、教育は一般化され、無償化された。そして、ピオネール(共産党の少年団)の白と青の制服が登場し、多くの生徒がそれを着て授業に出た。

ソ連では、統一された学校制服は、1940年代末に初めて承認された。

男子は、グレーの詰襟と記章とつばの付いた帽子。女子は、茶色のワンピースにエプロン(休日は白、平日は黒)。これが、ソビエト学校の真の「古典」となった。

1962年、男子の制服は、グレーのウールスーツに改められ、つば付き帽子は、ベレー帽に代えられた。重いベルトは廃された。しかし、女子の制服は、実質的に変更されなかった。

1970年代半ばに、制服は再び変わり、男子生徒は、流行のフレアパンツ(ベルボトム)と袖に紋章が付いた青いスーツを着るようになった。

ペレストロイカ時代には、女子の上級生(高校生)は、スカート付きの青いスーツを着た。

ソ連崩壊に伴い、制服着用義務は再び廃止された。人々は、それぞれが好む服装で、学校に通った。ジーンズを履く人もいれば、スウェットパンツを履く人もおり、おしゃれなワンピースやレギンスを着る人もいた。
学校の服装規定

2000年代初頭には、制服導入について、学校で再び議論がなされるようになった。それは、規律と社会的平等を保つために必要だと考えられた。
2013年には、各学校は、生徒の服装規定を独自に決める権利を得た。

今日では、共通の制服はない。しかし、各教育機関では、一定の服装規定を設けている。例えば、青やグレーのスーツのみの着用を生徒に義務付けているところがある。