1980年代のソ連ファッションはどのようなものだったのか(写真特集)
スラーヴァ・ザイツェフは1960年代半ば以降、ソ連を代表するファッションデザイナーとして知られ、ピエール・カルダンやクリスチャン・ディオールの経営陣からも高く評価された存在であった。写真は1980年のコレクションの一つである。
ザイツェフは、モスクワのクズネツキー・モスト通りに位置するソ連最大のファッションハウス「全ソ連ファッションハウス」で、実験と技術革新のためのワークショップを率いた。
その存在は、ファッション界におけるディアギレフになぞらえられることもある。イヴァノヴォ更紗による「ロシアシリーズ」を初めて欧州へ紹介し、ホフロマをはじめとする民族装飾の華やかな模様を積極的に取り入れた。
このファッションハウスは、当時のソ連ファッションを象徴する旗艦ともいえる存在だった。以下の写真はデザイナー、ナタリア・オルスカヤによる1987年の新作コレクションである。
レニングラード(現サンクトペテルブルク)にも独自のファッションハウスが存在した。写真は1988年、タリンで開催された国際ファッションデザインコンペティションで発表された同地のデザイナーによる作品である。
1980年代に入ると、デザイナーたちの創造性と実験の幅が大きく広がる。
新たなシルエット、鮮烈な色彩、大胆なアクセント、服は単なる日用品ではなくなり、ファッションはマスマーケットの要求から解き放たれつつあった。
若いデザイナーたちは、ロックンロール風のヘアスタイルや80年代特有のムードをまとわせつつ、
ロシア・アヴァンギャルドの精神を重ね合わせた独自のコレクションを生み出した。
大胆な試みが続く一方で、多くのデザイナーは「女性らしさこそがファッションの核心である」という考えを手放さなかった。写真は、ミラ・ナトチーによるシースルーのシフォンイブニングドレスである。
同時に、日常着をどう刷新するかという課題も模索された。幻想的なアプローチを見せたのは、ファッションデザイナー、ニーナ・ブルツェワによる女性用スーツである。
また、ナタリア・オルスカヤも同様に、新たなシルエットや素材を取り入れたスーツを提案した。
ファッションだけでなく、ファッション撮影やショーの形式も変化した。モスクワの「コスモス」オベリスクを背景にしたデモンストレーションは、その象徴的な例と言える。
ソ連時代、ファッションデザイナーはすべて政府との契約に基づいて活動していた。たとえば、ソ連軽工業委員会傘下の全連邦ニットデザイン協会は1991年まで、女性服の新作コレクションを定期的に発表していた。