ロシア人が実在を信じた4つの秘境

Created by AI / chatgpt
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シャンバラは、伝説によれば、悟りを開いた人々が完全な調和のなかで生きる神秘の地。そこへ至る門は、ロシアにはないが、他の「パワースポット」ならある、と信じられてきた。

1.ヴェロヴォージエ(白水境)

ヴェセヴォロド・イワノフ
ヴェセヴォロド・イワノフ

 この地で人々は、祖先の信仰を守り、自由に、そして何の困難もなく暮らすという。この伝説は、18世紀初めに現れた。正教をこの地にもたらしたのは、使徒トマス自らだったという。ヴェロヴォージエには、独自の教会があり、義人のツァーリさえもいた。盗みも殺人もなく、反キリスト(アンチキリスト)も、この地を支配する力を持っていなかった。

 気候は厳しいが、土地は肥沃で、金や宝石を豊かに産した。この素晴らしい国へ辿り着けるのは、正しい心をもつ者だけであり、それは、遥か彼方の島々にあった。44日間の旅路を経て、中国を抜けて行かねばならなかった。 

 「古儀式派」(分離派)は、地上に楽園が存在すると信じていた。信仰ゆえに迫害を受けた彼らは、平和に暮らせる場所を探し求めた(*17世紀後半、ロシア正教会が「上からの」宗教改革、いわゆる「ニコンの改革」により分裂すると、「ニコン派」と関わりたくない古儀式派は、ロシア各地に逃れた)。やがて彼らは、アルタイの僻遠の地――ブフタルマ河岸とウイモン渓谷――に定住し、そこをヴェロヴォージエと呼ぶようになった。 

2.キーテジ

パブリックドメイン
パブリックドメイン

 アトランティス伝説のロシア版は、17~18世紀に現れた。古儀式派の写本『世界創造紀元(ビザンティン暦)6646年9月5日に記されし書』には、キーテジの歴史が記されている。この街は、ゲオルギー・フセヴォロドヴィチ公が、川沿いを旅し、スヴェトロヤール湖に達して建てたとされている。彼は、この地の美しさに心を奪われ、キーテジを築いたという。

 この書物によると、中世ロシアに侵攻した、バトゥ率いるモンゴル軍は、この壮麗な都市を破壊し、公を含むすべての住民を殺害したという。別の伝承によると、驚愕する侵略者たちの目の前で、街は、スヴェトロヤール湖の水中に消え去った。それ以来、心に邪念を抱かない者だけが、この水中のキーテジを目にし、その教会の鐘の音を耳にすることができるようになった。

 しかし、伝説には一部真実も含まれている。ウラジーミル大公ユーリー(ゲオルギー)・フセヴォロドヴィチは、実在の人物だ。彼は、モスクワの建設者として知られるユーリー・ドルゴルーキーの孫であり、1238年にバトゥ軍と戦い、シチ川の戦いで戦死した。しかし、それ以外はすべてフィクションだ。

 もっとも、この伝説には、ある種の真実味が感じられる。そのため、今日に至るまで、人々は、ニジニ・ノヴゴロド州のスヴェトロヤール湖を訪れ、水中に輝く黄金のドームを一目見ようと、あるいは荘厳な聖歌を聴こうとする。

3.ルコモリエ

ロシア国立博物館
ロシア国立博物館

 "У лукоморья дуб зелёный; златая цепь на дубе том: и днём и ночью кот учёный всё ходит по цепи кругом..."(「ルコモリエに、緑なす樫の樹が立ち、樹には金の鎖が巻かれている。金鎖の上を『学者猫』が昼も夜もぐるぐる歩き回っている」)。

 大詩人アレクサンドル・プーシキンは、叙事詩『ルスランとリュドミラ』で、世界の果てにあるという、この島を、このように描いている。

 しかし、興味深いのは、こういう名前の土地が実在し、ロシアの叙事詩『イーゴリ遠征物語』にも出てくることだ。この作品では、ルコモリエとは、アゾフ海沿岸の北部を指し、そこから、遊牧民のポロヴェツ人が、中世ロシアを攻撃している。 

 17世紀には、この地名は、現代のトムスク州の地域に使われた。そして19世紀には、作家・歴史家のニコライ・カラムジンが、『ロシア国家史』のなかで、ルコモリエについて記しているが、それはロシア北部を意味する。彼はまた、ルコモリエにまつわる伝説にも触れている。すなわち、当地の山々には煉獄の火が燃え盛っており、住民は、毎年11月27日の聖ゲオルギオス(ゲオルギー)の日に死に、4月24日に復活するという。また、動物の毛皮で覆われた、犬の頭をもつ人々がそこに住んでいる、と。 

4.サンニコフ島

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 これは、「幽霊島」、永遠の春の地、鳥たちが冬を越し子育てする地だ。この島が初めて記録されたのは1810年のこと。商人で探検家でもあるヤコフ・サンニコフは、北極海のノヴォシビルスク諸島の海域で、高い岩山が連なる未知の土地の輪郭を目にした。彼の言葉は、十分信憑性があった。彼は、この地域を熟知しており、いくつかの島を発見していたからだ。しかも、鳥の渡りが彼の言葉を裏付けた。

 しかし、彼の正しさを証明するのもまた容易でなかった。気候のせいで、そんなに遠くまで探検隊を派遣することはできなかった。頼りになるのは観測だけだった。ようやく1937年になって、ソ連の砕氷船「サトコ」が、島がありそうな場所に可能なかぎり接近したが…何も発見できなかった!

 学者たちの推測によれば、ノヴォシビルスク諸島の他の島々と同様に、サンニコフ島は永久凍土から成り、時間の経過とともに溶けてしまった。

 しかし、到達不能だが温暖な土地をめぐる伝説は、文学のなかに残った。地理学者でSF作家のウラジーミル・オブルチェフは、その探索について、冒険小説『サンニコフ島』を書いた。

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