
秋が“主人公”の映画5選

1. 『秋のマラソン』(ゲオルギー・ダネリヤ監督、1979年)

このドラマは、どうにも選択できない優柔不断さがテーマだ。翻訳家ブズイキンは、妻と愛人の間で板挟みになっている。彼は自信をもって「はい」とも「いいえ」とも言えないタイプだ。だから、才能に劣る同僚の代わりに仕事をしたり、隣人に誘われておとなしくキノコ狩りに行ったり、デンマーク人の教授と朝のジョギングをしたりしている。
ゲオルギー・ダネリヤ監督による映画で、舞台は秋のレニングラード(現サンクトペテルブルク)だ。まるでただぐるぐると走り回り続けるように生きる男の物語には、まさに理想的な背景である。どんよりと薄暗い夜明けの風景は、絵葉書のような黄金色の秋のそれに変わっていく。ところが、森の中を散歩しても、自然を愛でるどころか、ただ無意味な会話だけが続く。自然は、この人生のイミテーションに加わりたくないように見える。
2. 『キャピテン・フラカス』(ウラジーミル・サヴェリエフ監督、1984年)

原作は、フランス作家のテオフィル・ゴーティエ。ルイ13世時代が舞台だ。雨の降る秋の夜、放浪の芸人たちが、シゴニャック男爵の城に泊まりたいと願い出る。翌朝、城主自ら一座に加わり、芝居と現実が交錯する旅に出発する。
信じ難いほど美しい秋の風景、剣戟、そして芝居への情熱が織りなすロードムービーだ。脚本は、有名なシンガーソングライター・俳優のユーリー・ヴィズボルが書いた。そして、同じく1960年代のシンガーソングライター、ブラート・オクジャワの詩による歌を、エレーナ・カンブロワが歌っている。
3. 『海辺のリゾートにて』(ニコライ・グベンコ監督、1980年)

海辺で過ごす季節の終わり。太陽の代わりに濃い霧が立ち込め、ペンションを覆い隠す。宿泊客たちは、自分たちで娯楽を案出せざるを得ない。無理やりゴシップを交わし、無理やり運動し、雑談する。そして、とても活発で明るいリーダーが率いるアマチュアグループ…。
この映画では、じめじめした冷ややかな秋はまるで、夏が終わり、寒さと孤独だけが待ち受けていることを不快に思い出させるかのようだ。ビーチの人混みの代わりに、カメラは、桟橋での朝の運動を、そして牧歌的な夏の風景の代わりに、人気のない公園を映し出す。こうした状況を背景に、ペンションに住む二人の恋が始まる。
4. 『秋』(アンドレイ・スミルノフ監督、1974年)

アルフレート・シュニトケの音楽による恋愛映画。主人公たちは、レニングラードから一週間、辺鄙な村へやって来て、隠れ住む。そこで二人は語り合い、釣りやキノコ狩りをする。二人は、その間に、人生を共にする未来を選べるかどうか見定めようとする。そして、二人の言葉だけでは足りないとき、パステルナークの詩が響く。「蒸し暑い列車の車内で、私は、生来の弱さの衝動に身を委ねた…」
この映画は、艶やかな秋の風景ではなく、カレリアの自然の静謐な美しさを描いている。霧の中を船で旅するシーンは、未来を予感させるかのようだ。すべてが不透明だが、霧は今にも晴れそうな気がする。
しかし、ソ連の、映画関連の官僚たちは、この映画を評価せず、アンドレイ・スミルノフ監督を、こう批判した。「露骨なシーンが多すぎる、明るい社会主義の未来の建設に関する要素が少なすぎる」
5.『職場恋愛』(エリダール・リャザーノフ監督、1978年)

挿入歌「自然に悪い天気はない」が、この映画全体の雰囲気を決めている。統計研究所の職員と厳格な女性の上司が恋に落ちる物語は、秋に展開される。
色とりどりの傘が海のように広がり、豪雨が長く降り続き、黄金色の秋のさなかに初雪が降る…。エリダール・リャザーノフ監督によるこのコメディを何度も観たことがある人でも、これらの光景は、再びあなたをスクリーンの前に釘付けにするだろう。