ドストエフスキー、処刑寸前に見た生の輪郭

ロシア・ナビ(写真:DE AGOSTINI PICTURE LIBRARY, Fine Art Images/Heritage Images/ Getty Images)
ロシア・ナビ(写真:DE AGOSTINI PICTURE LIBRARY, Fine Art Images/Heritage Images/ Getty Images)
フョードル・ドストエフスキー(1821年11月11日生、1821〜1881)は、28歳のときに死刑判決を受け、処刑台に立たされた経験を持つ。

 『貧しき人々』の成功により早くから注目された彼は、1847年、社会思想や帝政批判を議論する知識人グループ「ペトラシェフスキー・サークル」に参加したことから逮捕された。ペトロパヴロフスキー要塞で8か月を過ごしたのち、死刑が宣告された。

 1849年1月3日。サンクトペテルブルクのセミョーノフスキー広場において、ドストエフスキーらは処刑の儀式の全工程を受ける。判決文が読み上げられ、象徴的な剣が折られ、白い頭巾がかぶせられた。銃殺の号令が下される直前、皇帝ニコライ1世からの別命が伝えられる。刑は重労働と兵役に減じられ、処刑は中止された。

 この一連の手続きが、死刑囚の精神に与える影響を計算した演出であったことは、当時すでに広く知られていた。同行者の一人はその後、精神を病んだと記録されている。

 ドストエフスキーにとって、この瞬間は決定的な体験となる。生の有限性、人間の意識が極限で映し出すもの、罪と救いの関係。その後の作品に通底する主題の多くは、この経験を基層としていると考えられる。

 とりわけ『白痴』に描かれるムイシュキン公爵の独白は、処刑前の心理状態をきわめて静かに、しかし深い透明度で描写しており、ドストエフスキー自身の体験の反映としてしばしば指摘されている。