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リュドミラ・ヴェルビツカヤはいかにして全世界でロシア語を話させたのか

リュドミラ・ヴェルビツカヤ(1936−2019)
アレクセイ・ニコルスキー / Sputnik
困難な運命を背負った女性、「人民の敵」の娘であり、戦争とレニングラード包囲戦を生き延びた彼女は、学問の世界で驚くべき高みに到達し、「地球上で最も重要なロシア語研究者」という異名を得た。なぜ彼女はそう呼ばれているのだろうか。

 2000年、リュドミラ・ヴェルビツカヤ(1936~2019年)の名が小惑星に付けられた。では、この女性は何によってそのような栄誉に値したのだろうか。世界におけるロシア語の普及と、学問全体の発展への貢献によってだ。ヴェルビツカヤは、単なる言語学者、文学博士ではなかった。彼女はまた、サンクトペテルブルク大学史上初の女性の学長でもあった。

知識人の家庭から未成年犯罪者のための矯正施設へ

 リュドミラ・アレクセーエヴナ・ブブノワ、これは旧姓だが、彼女は1936年6月17日にレニングラード(現サンクトペテルブルク)で生まれた。彼女の家族も、彼女自身も、第二次世界大戦のあらゆる苦難、レニングラード包囲戦の悲劇、そして容易ではなかった戦後の年月を、身をもって経験した。

 リュドミラの父は、レニングラード市執行委員会の書記だった。1949年、父と市の党幹部数名は、「レニングラード事件」、すなわち破壊工作の疑いによって逮捕され、その翌年、「人民の敵」として銃殺された。さらに、リュドミラの母も逮捕され、収容所へ送られた。

 リュドミラ本人は、学校の授業中にそのまま連れ去られ、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国のリヴォフ(リヴィウ)にある児童矯正施設に送られた。要するに、レニングラードのインテリ家庭出身の少女が、未成年の女性犯罪者のための矯正施設に入れられたわけだ。しかし、彼女はそこであまりにも異彩を放っていたため、施設から普通学校へ通うことを許され、その後リヴォフ大学に入学することができた。

 「人民の敵」の娘として、文学部では外国語への道を閉ざされていた。そのため彼女はロシア語専攻へ進んだのだが、これこそが彼女の人生で決定的な役割を果たすことになった。

運命の最大の転機――レニングラード大学

 1954年、ヨシフ・スターリンの死後、リュドミラの父は死後に名誉回復された。そして彼女は故郷レニングラードへ戻り、レニングラード大学文学部へ転籍することができた。

 学生時代、彼女は夫となる物理学者フセヴォロド・ヴェルビツキーと知り合った。彼の父もまた、レニングラード事件で銃殺されていた。

 リュドミラ・ヴェルビツカヤは、卒業後も大学に残り、通算64年をそこで過ごした。そして、研究助手から学長へと歩んだ。彼女は、サンクトペテルブルク大学300年の歴史で初めての女性学長となった(同大学は1724年創立)。初の文学者出身の学長でもあり、選挙で2人の著名な物理学者を選挙で破っている。

 その後、ヴェルビツカヤは、ロシア教育アカデミー総裁にもなった。そして、「祖国功労勲章」を含め、数多くの高い地位や栄誉も得た。

「祖国功労勲章」授与式でのリュドミラ・ヴェルビツカヤ
ミハイル・メッツェル / TASS

 ヴェルビツカヤが大学を率いることになったのは、ソ連崩壊後のかなり困難で激動に満ちた1990年代だった。それは、研究者や教員の給与が最も低かった時代であり、不安定さと矛盾の時代だった。

 「彼女は、その魅力、誠実さ、エネルギーによって、大学生活にとってこの困難な時期を自らの肩に担って乗り切ることができた」。サンクトペテルブルク大学出身でロシア連邦大統領(2008~2012年)を務めたドミトリー・メドヴェージェフは、ヴェルビツカヤについてのドキュメンタリー映画『地球上で最も重要なロシア語研究者』の中で語っている。

 1994年、英国女王エリザベス2世がサンクトペテルブルクを訪れ、サンクトペテルブルク大学にも足を運んだ。そこで女王とヴェルビツカヤのあいだには、孫の話にまで及ぶ打ち解けた会話が生まれた。

発話の正しさの象徴になった

 研究者としてのヴェルビツカヤは音声学を専門とし、正しい発音を研究し、国全体の規模で「正しく話す」ことの流行を生み出した。

第5回サンクトペテルブルク国際文化フォーラム(2016年)でのリュドミラ・ヴェルビツカヤ
セルゲイ・ペトロフ / TASS

 彼女の主導で、『正しく話そう』という辞書が刊行され、「ペテルブルクっ子のように話そう」というキャンペーンも行われた。地下鉄、案内掲示板、バス停など、市内のいたるところに、ヴェルビツカヤの肖像と、さまざまな語における正しい強勢(ストレス)使用の例を載せたポスターが貼られた。

 この言語学者は、「正しく話すことは格式の高いことだという確信を、自分の学生たちに、そして可能ならば私たちの社会に感染させたい」と語っていた。

 ヴェルビツカヤはまた、外国人にロシア語の正しい発音を教え、訛りをなくすための教育システムも開発した。

 ロシア語と学問全般に関わることについて、人々は彼女を無条件に信頼していた。彼女は政府や大統領のもとに設けられたさまざまな評議会に名を連ねていた。ウラジーミル・プーチン大統領でさえ、ロシア語について個人的にヴェルビツカヤに助言を求めることが少なくなかったと、かつて認めている。

ウラジーミル・プーチン大統領との会談でのリュドミラ・ヴェルビツカヤ
アレクセイ・ニコルスキー / Sputnik

 「行事の前に、同僚たちとどう言うのが正しいのか意見が一致しないことがあり、飛行機の機内から直接電話をかけたこともあった」とプーチン大統領は語っている。そして必要な答えは、ヴェルビツカヤのもとでいつも即座に見つかった。

「地球上で最も重要なロシア語研究者」

 ヴェルビツカヤの発想はスケールが大きかった。彼女はロシア語を世界の舞台へ移したいと考えていた。「地球はロシア語で話し始めなければならない」と彼女は語っていた。彼女はほぼ20年にわたり、国際ロシア語ロシア文学教師協会を率い、会議を開催し、各国のロシア語研究者たちを結びつけた。

 世界中でロシア語を推進するため、2007年、ヴェルビツカヤは、基金「ルースキー・ミール(ロシア世界)」の設立を提案し、この構想をプーチン大統領が支持した。

救世主キリスト大聖堂での「現代における教会スラヴ語大辞典」出版記念発表会でのリュドミラ・ヴェルビツカヤ
セルゲイ・ピャタコフ / Sputnik

 ヴェルビツカヤのおかげで、世界各地にロシア語センターが開設されるようになり、そこでは無料で学ぶことができる。ロシア語研究者の国際会議も開催され、現在も続いている。ロシア語の学習と普及のための助成金も交付されている。

 ヴェルビツカヤは2019年にこの世を去った。2026年には、生誕90年を記念して、海外の才能あるロシア語教師のために、ヴェルビツカヤ記念奨学金が創設される予定だ。