
中国人フイビンさんに聞く:苦痛や退屈を感じることなくロシア語を理解し愛する方法

この記事のライターは、ハルビンで生まれ育った。ロシア語への情熱は、15年にわたり続いている。初めてロシア語の単語を口にした時からロシア・ナビ編集部で働くにいたるまで、長い道のりを歩んできた。最初は非常に難しかったが、粘り強く学ぶうちに、ロシア語を学ぶ秘訣が明らかになっていったという。
発音は数学ではなく音楽
音声学の授業は、すごく退屈なことが多い。「音を10回繰り返してください。常に正しく発音するように」といった具合だ。しかし、言語は、実験室の実験ではなく、リズムのある生きた言葉だ。そしてロシア語は、単なる音の集合ではなく、強勢(ストレス)のある音節が常に主音となるメロディーである。
多くの外国人は、「教科書通り」に、つまり、常に同じように、明瞭に、規則正しく発音しようとする。しかし、それはまるでメトロノームに合わせてラップを歌うようなもので、魂が込められていない。

ラジオのアナウンサーをよく聴いて、フレーズを断片的にではなく、丸ごと繰り返そう。ロシア語を耳だけでなく、体全体で聴いてみよう。単語ではなくフレーズ全体を、イントネーションをつけて繰り返そう。自分の発音を録音すれば、どこで「つまずく」かが分かる。そして、リズムをつかむ一番の方法は、ロシアの歌を聴きながら一緒に歌うことだ。たとえ午前2時の猫より下手な歌い方でも、言語のメロディーは「キャッチ」できるはずだ。
モスクワのカフェでイタリア人観光客がコーヒーを注文するのを見た。あちこちに強勢を置いて、「Я хОчУ кАпУчИнО」(カプチーノをください)。バリスタは、理解はしたが、目を細めた。「ロシア語的じゃない」と思ったのだろう。ロシア語は、強勢のある音節が王様で、強勢のない音節が従者のように静かで従順な構造をしている。
格:ホラーストーリーに見えるが実は親切
6つの格は、まるで玄関に怖い隣人が現れたかのように、初心者を怖がらせる。しかし、実はその隣人は、とても親切で、美味しいパイを焼いてくれるのだ。格は、自由を与えてくれる。語順を変えても意味は失われない。あと、そっと小声で言うが、フィンランド語には10以上の格がある。これを知ったら、つつましいロシア語を抱きしめたくなるだろう。
バスの中で、こんな話声が聞こえた。ある女性が変ななまりで友達に、「Я приду к ты завтра」(「明日あなたのところに行くよ」という意味だが、下線部で格変化を間違えている)と言っていた。友達は「к тебе」と訂正した。これで間違いはなくなり、ちゃんと正しく聞こえる。
格は、道路標識のようなものだ。最初はちょっと怖いが、やがて役に立ってくる。格があるので、意味を失うことなく、好きなように言葉を並べ替えることができる。「あなたを待っていた」をドラマチックで詩的に表現したい?それならば、「Тебя я ждал」と言おう。ドライでニュートラルな表現がお好み?ならば、「Я тебя ждал」。
ロシア語の「Может быть」(もしかすると)は、しばしば「はい」
モスクワのカフェで、帽子をかぶった男が女性にこう言った。
— Может быть, завтра сходим в кино?(もしかして、明日、映画を観に行こうか?)
— Может быть, — отвечает она, улыбаясь.(たぶんね、と彼女は微笑みながら言った)
外国人なら、この言葉に、確信のなさ、疑いを感じたかもしれないが、それは正しくない。ロシア語では、「たぶん、もしかして」は、多くの場合「はい」という意味だ。ただし、控えめな表現であり、撤回の可能性も含んでいる。あたかも鉛筆でカレンダーに会議の予定を書き込むようなものだ。すでに予定は決まっているが、消すことができる。
ビジネスの交渉においては、「たぶん」は柔軟性の表れだ。友人などとの会話では、きつい言い方や命令調に聞こえないようにするための方法である。
ユーモア:言葉を通しての笑い
ロシア人のジョークはしばしば、真面目くさった顔つきの背後に隠れている。彼らは言葉遊び、皮肉、誇張が大好きだ。「100年も待っていたよ!」。5分遅れた相手にこう言うこともある。

セルフ・アイロニーは、いわば国民的娯楽なのだ。しかし、覚えておこう。ロシア人は自分自身を笑うのは好きだが、笑われるのは…。他人が彼らを笑うのは、たとえ冗談でもリスキーなので、避けたほうがいい。
失礼な印象を与えずにロシア人に話しかけるには?
スーパーマーケットで、観光客がレジ係に「Дай пакет」(袋をくれ)と頼んでいる。レジ係は、黙っているが、倉庫の警備員のような視線を向けている。ロシア語で「дай」と言うのは、命令のように、あるいは相手を「貶めたい」意図のように聞こえる。正しくは、「Можно пакет?」(袋をいただけますか?)、または「Дайте, пожалуйста, пакет」(袋をください)。
しかし、それでもイントネーションがすべてを決する。平坦でドライなトーンは、たとえ単にあなたが疲れているだけであっても、不満を感じているように受け取られかねない。とはいえ、極端に走ってピエロのように微笑んではいけない。また、相手がいつも微笑んでくれることを期待してもいけない。微笑みは、自動的な礼儀正しさの表れではなく、個人的な親近感の表れなのだ。