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ロシア皇帝はツァーリだったのか?
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ロシア皇帝はすべからく、形式的にも実質的にも「ツァーリ」である。ロシアの最初の「皇帝」であるピョートル大帝は、「全大ルーシ、小ルーシ、及び白ルーシの最も強大かつ最も光輝ある、至尊かつ偉大な支配者にして大公にして専制君主ピョートル・アレクセエヴィチ、すなわちモスクワ、キエフ、ウラジーミル、ノヴゴロド各国の公にしてカザン、アストラハン、及びシベリア各国のツァーリ」という称号で即位した。これはピョートル・アレクセエヴィチの正式な称号から一部を引用したものだ。
ピョートルは「皇帝」として即位したわけではない
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1721年にピョートルは「全ロシア皇帝」として正式に戴冠し即位したわけではない。そうではなく、「古代ローマ元老院の古例に従い、皇帝陛下の偉業を称してこれらの尊号が公に進呈されるものである」と言う名目で、元老院と聖務会院(訳注:当時のロシア正教最高機関)から「全ロシア皇帝」という称号とともに「大帝(訳注:いわゆるピョートル大帝の「大」にあたる部分」及び「祖国の父」という尊号を「受け入れた」に過ぎない。ピョートルが帝冠そのものを有していたことは一度もなく、1724年に自身の妻がエカチェリーナ1世として即位する際に初めて皇帝のための特別な冠が制作された。
「ツァーリ」の称号は、ロマノフ朝の君主の称号に必ず与えられていた
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ピョートルから、ロシア君主の「正式な称号」は変更された。「全大ルーシ、小ルーシ、及び白ルーシの偉大な支配者にして専制君主」という称号は「全ロシア皇帝にして専制君主」に、「君主ツァリーツァ(ツァーリの女性形)にして大公妃」という称号は「皇帝(女帝)陛下」に、というように。しかし、「カザン、アストラハン、及びシベリア各国のツァーリ」という称号は、皇帝の正式称号の中に存在し続けた。
また、次のような個別の変更事例もあった。1784年、エカチェリーナ2世は「ヘルソニス・タヴリダ(ケルソネソス・タウリケのロシア語読み)のツァーリ」という称号を採用した。1815年にはアレクサンドル1世が「ポーランドのツァーリ」、1882年にはアレクサンドル3世が「グルジア(ジョージア)のツァーリ」を称した。ニコライ2世の正式称号はそれらすべてを含むもので、「カザン、アストラハン、ポーランド、シベリア、ヘルソニス・タヴリダ各国、及びグルジアのツァーリ」というものである。
ロシア人にとって、ツァーリと皇帝は同じ概念だった
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ロシア語の「ツァーリ」という言葉自体は、ビザンチン皇帝の称号として用いられていたラテン語の「カエサル(ロシア語読みはツェーサリ)」からきている。
ビザンチン皇帝の後、ルーシで「ツァーリ」と呼ばれたのは、キプチャク・ハン国のタタール人の君主たちと、そこから分離したアストラハン・ハン国やカザン・ハン国などの支配者たちだ。1547年にイワン雷帝がツァーリの称号を用いたとき、彼はこの称号で何よりもルーシの独立と自身の専制を強調した。ハン国による政治的支配は1480年、大公イワン3世の時代に終わりを告げたのだから、今や彼は「ツァーリ」である、と。ちなみに、イワン3世は、ロシアの君主たちが「ツァーリ」の称号を採用するずっと前に、ヨーロッパで初めてロシア人君主の中で「カエサル」と「皇帝(インペラートル)」を称した人物だ。
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ここまで見てきたように、革命前までロシア人にとって「皇帝」と「ツァーリ」は同等の概念だった。そもそも、ロシア皇帝は一人残らず伝統に従ってモスクワ・クレムリンのウスペンスキー大聖堂で即位してきたのだから。この経緯については以前別の記事でご紹介した。