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ロシアのツァーリが白鳥を食べたのはどの時代?
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ピョートル大帝(1世)の治世の前には、大公、ツァーリらは、モスクワのクレムリンに住んでいた。信仰心の篤かった当時の社会では、肉食を禁じる精進日が多く設けられていたが、肉食の禁止が解けると、宴会――とくに貴賓のための宴――は、白鳥のローストから始まった。
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「配膳係は、まずウォッカを持ってきた。(ロシア人は)正餐の最初にまずこれを飲む。それから配膳係は、焼いた白鳥を運んできた。肉を食べるときはいつでも、最初の一品としてこれを客に出す慣わしなのだ。3羽の白鳥が大公の前に置かれると、彼はナイフでそれらを突き刺してみて、どれが良いか決めて、すぐさま残りは下げるように命じた。全員が直ちに扉から退出した。扉の近くには、料理を切り分けるためのテーブルがあった。そこで、白鳥は切り刻まれ、それぞれの皿の上に、4つの翼、4本の足、等々がのせられた…」
オーストリアの駐ロシア大使、ジギスムント・フォン・ヘルベルシュタインは、1526年に、モスクワ大公ワシリー3世の宮廷を訪れ、祝宴に招かれており、その時の様子を自著『モスクワ事情』にこう記している。
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いちばん良い切り身は、賓客に供された。あるイタリア大使は、こうした宴会があまりに頻繁に行われるため、料理を味わう前から食欲が昂進しすぎる、と不満を漏らすほどだった。
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白鳥の後には、鶴、ヒバリ、ヤマウズラ、アヒル、鶏などの料理が食卓に運ばれてきた。
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