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ロシアの皇帝たちはどんな宝飾品を身につけたか(写真特集)
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アレクセイ・ミハイロヴィチ(1629~1676)
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かの名匠ファベルジェが宮廷に現れるはるか前、ロシアの君主の装飾品は、ギリシャの職人が作っていた。たとえば、アレクセイ・ミハイロヴィチのために、彼らは、特別な装飾「バルムイ」を制作した。これは、豪華絢爛な肩掛けで、特別な機会や戴冠式に用いられた。
聖母、幼子イエス、聖人、奇跡、使徒を描いた 7つのメダリオンが、248 個のダイヤモンドを含む宝石で飾られている。それらは、胸と肩を覆う広い襟に取り付けられた。
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日常生活では、ツァーリはこんな肩掛けは着用しなかったが、さまざまな指環をはめることはあった。それらには、いろんな模様、紋章、「双頭の鷲」などが刻まれていた。
ピョートル1世(大帝、1672~1725)
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大改革者のツァーリは、ささいな装飾でさえ何かに役立つように工夫していた。そうでなければ、彼らしくなかっただろう。彼は自分の指環を印章として、また画期的な出来事を想起させるものとして使った。指環の1つで、彼は、オランダにおける若き日の自分を描いた。つまり、造船の道具を手にした船大工を刻んだ。
エメラルドの指環には、帝権を表す王笏と権標(十字架の付いた黄金の球)とをもつピョートルの像が刻まれていた。そして、「全ロシアのツァーリにして大公ピョートル・アレクセーエヴィチ」という銘が像を取り巻いていた。
別の指環にはこう刻印されていた。「真実と信仰があるところに力も来る」。これは、この君主のモットーの1つに酷似している。
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彼は、魂のこと、すなわち信仰についても忘れていなかった。胸の十字架は、宗教的シンボルであるだけでなく、真の芸術作品でもあった。職人たちは、表の側の中央に、エメラルド製のもう一つの十字架を配し、裏側には、この君主の天の守護者である使徒ペテロの像を描いた。
パーヴェル1世(1754~1801)
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エカチェリーナ2 世の息子は、自分をファッショニスタとは思っていなかった。彼は単に最高のモノを選んだ。
1798年、マルタ騎士団の総長の称号を授与された(*1798年にナポレオンがマルタ島を奪うと、マルタ騎士団総長はオーストリアに逃れ、抗議の印として総長の地位をパーヴェル1世に譲った――編集部注)。そして、特別な王冠を与えられた。そこには宝石はなく、8本の金色の弧が上に伸び、リンゴを戴いていた。リンゴの上には、マルタ騎士団の白いエナメルの十字架が立っていた。
また王冠とともにパーヴェルは、ダイヤモンド付きの指環を受け取った。その宝石の下には金属箔が置かれていて、深紅色に輝いた。
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パーヴェル1世には、通常の宝飾品のほか、「軍用」のものもあった。サンクトペテルブルクの職人は、柄にルビー、ダイヤモンド、サファイアがちりばめられた儀式用の剣を、彼のために制作した。兜型の柄頭は、パーヴェルがマルタ騎士団の総長だったことを思い起こさせる。
アレクサンドル2世(1818~1881)
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1834年、エカテリンブルク近郊のエメラルド鉱山で珍しい宝石が見つかった。光の加減によって、深みのあるグリーンから深い紫、鮮紅色へと色を変えていく。その年に成人を祝った皇太子アレクサンドル・ニコラエヴィチに敬意を表して、この宝石をアレキサンドライトと命名することにした。
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この石は希少でかなり高価であり、貴族だけがこれで特別な贈り物をする資力があった。しかし、もちろん、その「代表的な」所有者はアレクサンドル2世その人だった。彼は、指環を外さずにいつもはめていた。皇帝が指環を忘れたのはただ一度だけだ。それは、彼が革命的テロリスト集団「人民の意志」に暗殺されたまさにその日だった。
アレクサンドル3世(1845~1894)
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アレクサンドル2世の長男、皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィチは、デンマークの王女マリー・ダウマーとの結婚式の準備をしていた。大粒のダイヤモンドをあしらった結婚指環は、すでに注文済み。しかし、結婚式は行われなかった。皇太子が結核性髄膜炎で亡くなったからだ。
にもかかわらず、デンマーク王室との婚姻は結ばれ、マリー・ダウマーは、兄の死を受けて皇太子となったアレクサンドル・アレクサンドロヴィチと結婚した。結婚式で二人は同じ指環を使うことにした。そして夫妻は新たな伝統をつくった。その後の王位継承者も、この指環を結婚式に用いることだ。
ニコライ2世(1868~1918)
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どんな機会にもしっくり来る、男性への最も一般的な贈り物は、カフスボタンだった。このアクセサリーは、宝石商カール・ファベルジェの工房からも提供された。皇室ロマノフ家の重要な節目や祭日にちなんで、小ぶりな傑作が制作された。
たとえば、アレクサンドル3世の場合、名匠たちはブルーのエナメルを背景に、ダイヤモンドを並べ頭文字になるようにしたカフスボタンを作った。また、かなり簡素なものもあり、ロードナイト(ばら輝石)に組み合わせ文字を浮き彫りにしていた。
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ニコライ2世は、名前が刻まれたり何らかのテーマが表されたりした、宝石と彫刻で飾られたカフスボタンも贈られている。
彼は、彼以前の皇帝たちのように、25年ほどにわたり、特別なアルバムに、すべての贈り物を書き込んでいた。20歳の誕生日には、XXのモノグラムが入った伝統的なカフスボタンを贈られた。婚約者で未来の皇后のアレクサンドラ・フョードロヴナからは、ダイヤモンドとルビーをあしらった鍵形のカフスをもらった。