ツァールスコエ・セロー博物館保護区の至宝10選(写真特集)
1.蓋にヴィーナスとキューピッド像のある小箱、17世紀
名高い「琥珀の間」はツァールスコエ・セローを代表する財宝であったが、第二次世界大戦時に失われた。だが、その一部は疎開して奇蹟的に戦争を生き延びた。小箱、チェッカー用のボード、チェスとトリクトラク、アレクサンドル2世のたばこパイプといった、個人の持ち物などである。そうした品々の1つが、ダンツィヒの職人ゴットフリート・トゥラウ作の、この小箱。トゥラウは「琥珀の間」の作者の1人でもあった。
2.エカテリーナ2世の制服ドレス、1766年
エカテリーナ2世はロシアに制服風ドレスの流行をもたらした。女帝は複数の近衛連隊や陸軍連隊の司令官を兼任しており、彼女のコレクションには軍服の女性バージョンとも言えるドレスが複数あった。このドレスは、セミョーノフスキー近衛連隊の制服をベースにしたもの。
3.ラファエロ風食器セット、1883-1903年
1883年、アレクサンドル3世はツァールスコエ・セロー専用の食器セットを発注した。デザインには、ヴァチカン宮殿の「ラファエロのロッジア」のモチーフを採用。帝国磁器工場は20年にわたって毎年、帝室へのクリスマスの贈り物としてセットの一部を生産し続けた。
4.子供用2人乗り馬車、18世紀後半~19世紀初頭
このイギリス製馬車に乗って、ミハイル大公とニコライ大公(後のニコライ1世)はツァールスコエ・セローの庭園を駆けた。オープンタイプのモダンなフェートンの縮小版であり、エカテリーナ2世が孫である2人の大公の幼少期にプレゼントしたものである。
5.アレクサンドラ・フョードロヴナ皇后の小箱、1808-1809年
ニコライ1世の皇后、アレクサンドラ・フョードロヴナが所蔵した小箱。彼女はプロイセンの王女の生まれであり、蓋にはベルリン郊外の王家所領フライエンヴァルデの風景が描かれている。
1818年に父であるプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世がモスクワを訪問中に、娘に贈った品。トルコ石、真珠、サファイア、貴かんらん石、エメラルド、青金石の6つの宝石で飾られており、それぞれがフリードリヒ・ヴィルヘルム国王の子女の名を表している。アレクサンドラ・フョードロヴナ(本名はシャルロッテ)を象徴するのはサファイア。
6.ヴォログダ県の衣装箱、1904-1914年
この手彫りの衣装箱の素材は松と白樺。絵付けと金彩が施されている。トチマ市のペトロフスキー職人学校で制作されたもので、手工芸品博覧会で皇室に献上された。
ツァールスコエ・セローにとっては、特別な意味を持つ衣装箱である。第二次世界大戦中、この衣装箱に数点の高価な展示品を入れてシベリアに疎開させ、戦果を免れたという経緯があった。
7.オラース・ヴェルネ『ツァールスコエ・セローの回転木馬』、1842年
この大作に描かれているのは、ニコライ1世とアレクサンドラ・フョードロヴナの結婚25周年記念パーティーの様子である。ニコライ1世は甲冑に身を包んだ騎士に扮している。隣の皇后は、中世のドレスを着ている。
8.大ツァルスコセリスキー宮殿(エカテリーナ宮殿)リヨンの応接間のライティングデスク、1862年
アレクサンドル2世の皇后マリア・アレクサンドロヴナのリヨンの応接間のために、専用の調度品が天藍石とブロンズで制作された。他に類を見ない貴重な、家具美術の傑作である。制作はペテルゴフ研磨工場。
9.孔雀石のインク壺セット、1830年代
19世紀前半、ウラルで鉱床が発見された影響で、ブロンズ職人は孔雀石を多用するようになった。ブロンズと深緑の色合いのコントラストは絶妙で、皇室の趣向にも叶った。このインク壺セットは、当時流行のネオゴシックスタイル。ツァールスコエ・セローのアレクサンドロフスキー宮殿内のニコライ1世の執務室に置かれていた。
10.マントルピース用時計「ノートルダム大聖堂」、1835年
このノートルダム大聖堂のブロンズ製縮小コピーを制作したのは、フランスのBavozet freres et sœur社。現在、この調度品芸術の傑作はツァールスコエ・セローの「アルセナル」パビリオンで見ることができる。このパビリオンには他にも、ニコライ1世の時代のゴシック調の傑作が数多く展示されている。
展覧会「皇帝の離宮の至宝 ツァールスコエ・セロー」は、モスクワの歴史博物館展示複合体にて2026年4月13日まで開催中。