なぜサンクトペテルブルク郊外の野に点々とペチカが?
サンクトペテルブルク郊外の草原に、白く塗られたペチカが点々と残されている。その正体は、ナチスによって村ごと焼き払われたボリショエ・ザレチエの、唯一の「生の証人」だった。
黒こげになった5つのペチカ(暖炉兼オーブン)。これが、レニングラード州のボリショエ・ザレチエ村から残された全てである。1943年10月30日、ドイツ軍は村を住民ごと焼き払った。パルチザンに協力したこと、村民まとめてのドイツ国内での労働を拒否したことが原因だった。
解放後も、村は再興されなかった。1971年、この地にパルチザンの記念像と、花崗岩のメモリアルプレートが設置された。プレートには次の文言がある:「ここには生活があった。ここにはボリショエ・ザレチエ村があった。43年10月、ファシストによって村は破壊し尽くされ、住人66人が残虐に射殺され、拷問され、生きたまま焼かれた…」。
焼かれた家屋から唯一残ったペチカは、ナチズムの犯罪を雄弁に物語る証となっている。これらのペチカは近隣の村落の住民とボランティアが保護している。毎年、白色に塗り直され、周囲の草刈りを行って記念施設を維持管理している。ここにはいつも、来訪者が手向けた花が絶えない。