ロシアの美しいカトリックとプロテスタントの教会7選
1.ローマ・カトリックの聖マリア無原罪懐胎大聖堂(モスクワ)
19世紀初頭、ポーランド人共同体の寄付によって建設された、ロシア最大級のカトリック教会である。ネオゴシック様式で、設計はポーランド人のフォマ・ボグダノヴィチ=ドヴォルジェツキー。サラーマ市の神聖心教会を設計したのも、彼である。
ソ連時代は寮、野菜貯蔵庫、学術研究所として使用された。1990年代初めになって、同じポーランド人共同体の運動によって教会に返還された。
2.聖アンデレ聖公会教会(モスクワ)
モスクワで唯一の聖公会教会である。1880年、イギリスの建築家リチャード・ニール・フリーマンの設計により建設された。典型的なイギリスのヴィクトリアン様式の教会で、モスクワの街中で異彩を放っている。
ソ連時代は、その抜群の音響のためにレコード会社「メロディヤ」のスタジオとして利用された。エリザベス2世の直々の要請により、1994年、ボリス・エリツィン大統領はモスクワのイギリス人コミュニティに建物を返還した。
3.聖ロザリオ教会(ウラジーミル)
ウラジーミル市のポーランド人コミュニティの発案により、1894年に建設されたネオゴシック様式の教会。設計は地元の建築家アンドレイ・アファナシエフとイワン・カラブトフが担当した。
1905~1907年の第一次ロシア革命の頃、革命家たちは信者を装ってこの教会で秘密の会合を繰り返した。こうした経緯もあり、ソ連時代もこの教会は革命史の記念碑として扱われた。
4.聖ペテロ・パウロ福音ルーテル大聖堂(モスクワ)
モスクワに初めて石造りのプロテスタント教会が建設されたのは18世紀のこと。1863年には、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世が寄贈した鐘が塔に取り付けられた。
20世紀初頭に教会の大規模な改修が行われ、ネオゴシック様式に改められた。そして、新たに大聖堂として清められて現在に至る。メトロポール・ホテルのファサードをデザインしたことで名高い、ロシア・イギリスの建築家ウィリアム・ウォルコットが設計を担当した。
この建物は1930年代末に映画館として利用され、その後はスライド用のフィルムストリップの撮影スタジオとして使われた。歴史的な外観が復元されたのは、ようやく2000年代初頭になってからである。
5.神聖心教会(サマーラ)
1906に建設されたカトリック教会で、ポーランド寺院の通称でも知られる。フォマ・ボグダノヴィチ=ドヴォルジェツキーの設計によるネオゴシック様式。
1913年まで、教会の誇りはオーストリアから取り寄せたオルガンだった。現在は、サルバドール・ダリの『十字架の聖ヨハネのキリスト』の複製が飾られている。
6.聖パウロ教会(ウラジオストク)
ドイツ北方ゴシック様式のルーテル教会で、ロシア極東に住みついたドイツ商人らの寄付によって1909年に建設された。設計もドイツ人のフーゴ・ゲオルグ・ユングヘンデル。彼はウラジオストク、ハバロフスク、ウスリースクで多数の住宅や屋敷の設計を行っていた。
ソ連時代は太平洋艦隊の海軍歴史博物館として利用され、入口付近には火器が、祭壇にはレーニンの胸像が置かれた。
1997年にドイツ政府はこの建築を「国外におけるドイツ文化遺産」として認定し、以後、保存と改修のための資金援助を行っている。
7.聖母被昇天教会(クルスク)
19世紀末、クルスクのカトリック司祭ゲオルギー・モトゥズが県知事に請願して、カトリック教会の建設が始まった。教会のデザインも、モトゥズ司祭によるもの。こうして1896年、このネオゴシック様式の教会が完成した。
有名な画家のカジミール・マレーヴィチはこの教会で結婚し、後に娘に洗礼も受けさせた。ソ連時代は略奪に遭い、閉鎖された。1993年、クルスクでカトリック共同体が復活したのと同時に、修復が開始された。