1970年12月31日、ソ連国民は初めてTV画面から新年の祝辞を聞いた

ウラジーミル・アキモフ / Sputnik
ウラジーミル・アキモフ / Sputnik
テレビで新年の祝辞を述べるという伝統は、ソ連共産党中央委員会書記長レオニード・ブレジネフから始まった。収録は執務室で行われ、ツリーもイルミネーションも、スパークリングワイン入りのグラスさえ無い、厳格な雰囲気の中の撮影だった。ブレジネフは若干緊張気味であったが、次第にほぐれてきた。

 ブレジネフは原稿を読み上げていたが、これは収録を難しくしてしまった。ブレジネフは紙を見るタイミングと、視線をカメラに向けるタイミングを計りかねて苦労した。翌年からは、カメラ脇に立つアシスタントが祝辞のテキストを持つようになった。

 ブレジネフは、農作物の記録的な収穫量、科学と産業分野における成果について述べ、特に世界初の天体用の探査車「ルノホート1号」のミッション成功を強調した。

 「バルトから太平洋まで、北海からカルパティア山脈まで、ソ連全土においてこの1年は良い足跡を残していきました」

 と、ブレジネフは述べた。

 ブレジネフはソ連国民にお祝いを述べるとともに、友好的な社会主義陣営の諸国と、西側の資本主義諸国の労働者、農民、進歩的インテリゲンチャにも祝福を伝えた。

 1970年代末から、健康状態の悪化に伴いブレジネフは新年の祝辞の収録を取りやめた。後継となったユーリー・アンドロポフ、その次のコンスタンチン・チェルネンコも同様に重病で、大晦日の夜にテレビに登場することは無かった。代役は、ソ連の有名アナウンサーだったイーゴリ・キリーロフが務めた。

 新年の祝辞を述べる伝統は、1985年にミハイル・ゴルバチョフが再開している。