GW2RU
GW2RU

なぜ、モスクワ地下鉄の「空港駅」周辺に空港が無いのか

キラ・リシツカヤ(写真:Sputnik; Maria Devakhina/Sputnik)
かつてはモスクワの中心部に飛行場があったが、今では住宅地となっている。

1.初のデモンストレーション飛行が行われた場所

1910年5月9日付『モスコフスキー・リストーク』

 1909年秋、フランスの飛行家フランソワ・レゴニエがデモンストレーションのためにロシアを訪れた。

 デモフライトは、ホディンカ原で行われることになった。観衆は満足し、特に熱心な者は地面に寝転がって、飛行機の車輪が確かに地面から浮いていることを見届けようとした。こうした飛行は通常、5~10mの高度で行われ、飛行距離は1.5km程度にとどまるものだった。

 1910年5月、設立されたばかりのモスクワ飛行連盟の招待で、著名なパイロットであったセルゲイ・ウトチキンがホディンカ原でデモフライトを行った。ウトチキンの曲技飛行(高度120mで19分間行われた)を見物しに、2万5千人の観衆が集まった。

2.寄付金で建設された

 1910年6月、モスクワ飛行連盟はホディンカ原に飛行場建設用地を取得し、ほどなくして滑走路と格納庫が建設された。建設費用は一般からの寄付によって賄われた。パイロットのウトチキンも自らの飛行学校をここに開くべく、2千ルーブルを寄付している。他にも、パイロットのボリス・ロッシンスキー、実業家チチキン、航空機を製造していた「ドゥクス」社も、ホディンカ飛行場に格納庫を持っていた。

3.最初の国際便もホディンカ発

R-5、中央飛行場上空 1930-1935年
パブリックドメイン

 革命後、この場所はメイン飛行場として整備されることになった。最初の国際便が飛んだのは1922年5月1日。「ドブロリョート」社によるモスクワ⇔ケーニヒスベルクのフライトが、ホディンカ原から出発した。3年後には、航路はベルリンまで伸長された。1923年からは初の国内線の旅客便も就航し、ニジニ・ノヴゴロドとハリコフの両路線が発足した。使用された機種はユンカースF13。目印となる鉄道を視認できるよう、飛行は昼間に限られた。

ソ連建築第1号/ガス連合、1933年

 1933年まで、ホディンカ飛行場はモスクワで唯一の飛行場だった。1931年には乗客用ターミナルが建設され、7年後には地下鉄「アエロポルト(空港)」駅がオープンした。現在も営業しているこの地下鉄駅は、かつてこの場所に空港があった事を偲ばせる、唯一の場所となっている。新しい空港が開業するに伴い、ホディンカ原のターミナルは、ブィコヴォ空港やヴヌコヴォ空港への乗り換えターミナルの役割を担うようになった。

4.あのヴァレリー・チカロフが事故死した場所

ヴァレリー・チカロフ
エフゲニー・レオノフ / Sputnik

 1938年12月、チカロフはニコライ・ポリカルポフ設計の新型機I-180の試験飛行を行っていた。しかし、着陸準備中にエンジンが停止。チカロフは飛行場に戻らずに不時着を試みるが、電線に引っ掛かり墜落。操縦席から投げ出されて頭部を強打し重傷、その後死亡した。

5.空のタクシーも稼働していた

ヴァレリー・ズファロフ / TASS

 1960年代、ホディンカの飛行場からは15分でヴヌコヴォ空港とシェレメチェヴォ空港にアクセス可能だった。タクシーとして使用されたのは、Mi-4ヘリコプター。料金は1.5ルーブルだった。

6.2003年に営業を終了

モスクワのホディンカ野原にある航空博物館所有の、解体処分された航空機。
アレクサンドル・ウトキン / Sputnik

 ホディンカ飛行場は約100年間、稼働した。最後のフライトは2003年、インドに向かう対潜哨戒機Il-38だった。やがてこの場所は開発され、残された飛行機は博物館に移された。