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1976年ソ連時代のロシアはどんな様子だったか(写真特集)

ロシア・ナビ(写真:ユーリー・アブラモチキン/Sputnik)
ブレジネフ体制下の安定、大規模なソ連建設事業の完了、そして明るい未来への希望。今からちょうど50年前、ソ連時代のロシアは、何によって支えられ、どのような姿をしていたのだろうか。

 そのころ、レオニード・ブレジネフはすでに12年間にわたって権力の座にあった。この時代を「発達した社会主義の時代」と呼ぶ者もいれば、「停滞」の時代と呼ぶ者もいた。写真は、多数の勲章を身につけた自分の肖像画をインディラ・ガンディーに見せるブレジネフだ。

 経済状況は実際かなり安定しており、石油価格も悪くなかったが、その一方で、この国は極度に官僚化されていった。

 ソ連の官僚社会の日常の一場面。

 クレムリンでは、ソ連共産党第25回(記念)大会が開かれた。

 クレムリン大会宮殿には、全国から5千人の代議員が集まった。

 ちなみに、クレムリン大会宮殿では党の会議だけでなく、子ども向けの新年行事「ヨールカ(ニューイヤーツリーパーティー)」も開かれていた。この催しには、全国の成績優秀な子どもたちが無料で招待され、しかも菓子の贈り物まで渡された。大人は入場できなかった!

 1970年代のファッション。クレムリン大会宮殿のレストランで働くウェイトレスたち。

 モスクワのバレエとオペラの殿堂「ボリショイ劇場」。マルクス、エンゲルス、レーニンの肖像で飾られている。

 レーニンの肖像はいたるところに掲げられており、ときにはかなり奇抜な場所にも見られた。たとえば、自動車工場の組立作業場である。

 あるいは、幼稚園のおもちゃ棚の上にもあった。

 1976年には、キューバの指導者フィデル・カストロがソ連を公式訪問した。

ユーリー・アブラモチキン / Sputnik

 そして、モスクワ防衛の記念碑にも献花した(1976年は、1941年のモスクワ攻防戦から35年が経過し、記念の年だった)。

ボリス・エリン / Sputnik

 第二次世界大戦中、ナチス・ドイツ軍に占領されたツァールスコエ・セローのエカテリーナ宮殿は、甚大な被害を受けた。宮殿の修復は、すでに1940年代末から始まっていた。

 1970年代には、失われた「琥珀の間」の再現作業にも着手した。写真は、画家アントン・コサコフスキーが天井画を復元しているところだ。

 ソ連全土で人気を誇った俳優であり、詩人・シンガーソングライターでもあったウラジーミル・ヴィソツキー。

 1976年、オーストリアで開かれた冬季オリンピックで、ソ連代表は金メダル13個を獲得し、総合成績で圧倒的な勝利を収めた。写真は、アイスダンスの優勝者リュドミラ・パホモワとアレクサンドル・ゴルシコフだ。

 ソ連のアイスホッケー代表もまた、オリンピックで金メダルを獲得した。

 この年の最も重要な出来事のひとつは、長らく待ち望まれていたバイカル・アムール鉄道(略称はバム)の一部区間、すなわちバム駅からトゥインダまでの路線開通だった。

 この出来事は、赤の広場でのメーデーのパレードでも祝われた(車には「バム―トゥインダ」と書かれている)。

 これはソ連でも最長級の建設事業のひとつであり、中断をはさみながら何十年にもわたって続いた。バムの建設者たちは勇敢な者、英雄とみなされていた。というのも、彼らは極北の過酷な環境へ赴き、人跡まれな土地に線路を敷いていたからだ。

 さらに、1976年は最初のトラック「KAMAZ」が生産された年でもあった。

 ソ連の生活にはさまざまな困難もあったが、現在50代以上の世代の多くは、この時代を人生で最も幸福な時期として回想している。

 そして若者たちもまた、明るい未来への希望を抱いて生きていた。