1966年ソ連時代のロシアはどんな様子だったか(写真特集)
1966年には、レオニード・ブレジネフが権力を握ってからすでに2年がたっていた。
彼は、フルシチョフ時代に始まった大規模な住宅建設を引き継いだ。コムナルカ(共同住宅)や寮で暮らしていた多くの家族が、ついに自分たちの住まいを手に入れた。小さくても自分のものになったアパートに、人々は満足していた。
あらゆる都市に、新しい住宅地区と商店街が現れた。
フランス大統領シャルル・ド・ゴールがソ連を訪問し、モスクワではこのような車列によって盛大に迎えられた。
第二次世界大戦からはすでに20年が過ぎ、国はようやく衝撃と喪失から立ち直ったように見えた。まったく新しい世代が育っていた。
モスクワでは、モスクワ近郊でのドイツ軍撃破25周年が祝われた。
戦死した兵士たちを追悼するため、モスクワではクレムリンの城壁のそばに、共同墓地から移された遺骨が厳かに再埋葬された。こうして「無名戦士の墓」は、戦争に関わる主要な記念碑の一つとなった。
「勝利の元帥」イワン・コーネフは、今では釣りのような、まったく平和なことにいそしんでいる。
60年代は科学の時代でもあった。宇宙開発、平和利用の原子力――物理学者という職業は、もっとも権威あるものの一つになった。
60年代はまた、詩と文学が高揚した時代でもあった。いわゆる「60年代人」の詩人たちは、朗読会にスタジアムいっぱいの聴衆を集めた。写真は、その時代の偶像のひとり、エフゲニー・エフトゥシェンコだ。
さらに、写真愛好家の増加は、ストリート写真の本格的な流行を引き起こした。
そのため、私たちは普通の人々の生活を写した、「やらせ」ではない数多くの写真を見ることができる。
1960年代半ばには、なおフルシチョフの「雪どけ」の余韻が感じられた。
それは自由とロマンの時代だ。
それは未来への希望と大きな夢の時代だ。
同時に、経済は上向き始め、人々はより多くのものを手にできるようになり、カフェやレストランも以前より身近な存在になった。
自動車もまた手に届きやすくなった。モスクワでは自動車愛好家の祭典と、自動車技術の大規模な展示が開かれた。そこには、レトロカーから最新のソ連製自動車までが並んだ。
アマチュアによる自作車や、子ども用のペダルカーも参加した。
1960年代のファッション。写真には、美容師コンテストで優勝した髪型のモデルたちが写っている。
労働者の祭典「メーデー」のデモ行進は変わらず続いていた。
ピオネールたちは今までどおり行進し、レーニンの肖像の前で宣誓を行っていた。
ソ連には、ますます多くの外国人がやって来るようになった。写真は、パトリス・ルムンバ記念民族友好大学(現在のロシア諸民族友好大学)の学生たちだ。