発音のとおりに書くのか:ソ連で言語改革が頓挫したいきさつ

ロシア・ナビ(写真:ソボレフ・ヴァレンティン/TASS、ストゥージン・アレクセイ/TASS、Klipartz, microstocker/Getty Images, Elena Pimukova/Getty Images)
ロシア・ナビ(写真:ソボレフ・ヴァレンティン/TASS、ストゥージン・アレクセイ/TASS、Klipartz, microstocker/Getty Images, Elena Pimukova/Getty Images)
1960年代、言語学者たちは、音を分離する記号としての「硬音符」を廃止し、その他の複雑な正書法(綴り方)規則もなくすことを提案していた。彼らはなぜそれを望み、そしてなぜ実現しなかったのだろうか。

 1918年、ボリシェヴィキ政権は、ロシア語にも革命を起こし、新たな正書法規則を公布した。いくつかの「帝政時代の文字」を廃止し、いくつかの規則を簡略化したのである。

 フルシチョフの「雪どけ」期、すなわち新たな文学を中心に社会意識が形成された、比較的自由な1960年代もまた、変化の時代だった。そのため、指導層の一部において、新たな言語改革が議論されるようになった。

言語の何を変えようとしたのか?

 提案された変更点は数多かったが、ここではその一部のみを挙げよう。

1.音を分離する記号は一つだけ、すなわち「軟音符」だけを残す。その一方で、「硬音符」は完全に廃止する。

2.「ц」の後では常に「и」を書く(つまり “огурцы”〈キュウリ〉 ではなく “огурци” とする)。また、たとえば “ж, ч, ш, щ, ц” の後では、アクセントがある場合には о、無アクセントの場合には е を書く。つまり “жёлтый”(黄色い) ではなく “жолтый” とする。

3.分詞における重ね書きの “нн” を簡略化する。

4.助詞 “-то, либо, нибудь” の前のハイフンをなくす。

5.“раст-рос” のような語根における交替を廃止する。

なぜ改革は実現しなかったのか?

 変更の大半は、書き言葉をできるだけ実際の発音に近づけること、そして規則の大量の例外をなくすことを目指していた。

 しかし、いくつかのケースは滑稽なものとして受け止められた(たとえば、“заяц” ではなく “заец” と書くことが提案されていた)。そのため、世論はこうした提案を嘲笑し始めた。

 新しい規則案は1964年9月に公表されたが、そのわずか翌月の10月にはフルシチョフが失脚した。その結果、彼の改革はついに実現しなかった。経済的に見て割に合わなかったからでもある。