レニングラード包囲戦の開始から85年

ダヴィド・トラフテンベルク / Sputnik
ダヴィド・トラフテンベルク / Sputnik
85年前の1941年9月8日、ドイツ国防軍はラドガ湖畔のシュリッセリブルクを占領し、レニングラードを陸路から完全に包囲した。約50万人のソ連兵、バルト艦隊のほぼ全戦力、そして最大300万人の市民が包囲下に置かれた。ナチス・ドイツ軍は都市を一気に攻略することができず、長期的な包囲に移った。
 

 包囲されたレニングラードと外部を結ぶ唯一のルートは、ラドガ湖を渡る水路、いわゆる「命の道」だった。食料はこのルートで運び込まれ、市民の避難も行われた。しかし、「命の道」も軍の輸送機も巨大都市の需要を満たすことはできず、最初の冬、レニングラードは深刻な飢餓に襲われた。

ボリス・クドヤロフ / Sputnik 砲撃によって破損した水道管から水を汲む、包囲下の市民たち。
ボリス・クドヤロフ / Sputnik

 当時の住民エフゲニー・アリョーシンは、こう回想する。

 「食べられるものはすべて食べ尽くしました。革のベルトも靴底もです。街からは猫も犬も一匹残らず姿を消し、ハトやカラスさえいなくなりました。電気もありませんでした。飢え、衰弱した人々は水を求めてネヴァ川まで歩き、その途中で倒れ、亡くなりました。遺体はもう片付けられることもなく、ただ雪に埋もれていきました。家では一家全員、あるいは一つの部屋の住人全員が亡くなることもありました」

ボリス・クドヤロフ / Sputnik 飢えで亡くなったレニングラード市民を、親族が墓地へ運んでいく。
ボリス・クドヤロフ / Sputnik

 包囲を突破する試みは当初から繰り返されたが、いずれも失敗に終わった。1943年1月になってようやく赤軍がシュリッセリブルクを解放し、ラドガ湖南岸を確保。レニングラードと外部との陸路が回復した。確保された狭い回廊には急いで鉄道が敷設され、2月7日には食料を積んだ最初の列車がレニングラードに到着した。

 その1年後、ソ連軍は敵をレニングラードから約100キロ後退させ、都市への脅威を完全に取り除いた。

ボリス・クドヤロフ / Sputnik ラドガ湖を渡り、はしけ船によって包囲下の市街へ食糧を運び込む様子。
ボリス・クドヤロフ / Sputnik

 872日間に及んだ包囲では、飢餓や寒さ、砲撃、空襲により、推計で65万人から150万人の市民が命を落とした。