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「ミス・ユニバース」に出場したロシア人美女たち(写真特集)
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1994年、インナ・ゾボワ
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ロシアはこの年、初めて「ミス・ユニバース」に出場した。初の出場者となったのはモスクワ州ヒムキ出身のインナ・ズボワ。大会では12位という結果だったが、民族衣装の部門では堂々の3位に選ばれた。コンテストに出場した後、インナはモデル業を続け、カナダの下着ブランド「Wonderbra」の顔となった。
1995年、ユリヤ・アレクセエワ
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史上2人目の出場者はタンボフ出身のユリヤ・アレクセエワ。大会では12位となった。アレクセエワはこの結果について、他の出場者のせいでファイナルに進むことができなかったと語り、食事に何かを入れられたと訴えていた。しかし、それを証明するものは何も見つからなかった。
1996年、イルミラ・シャムストジノワ
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サラトフ生まれのイルミラは地元の美人コンテストをいくつも勝ち抜き、14歳でモデルデビューした。イルミラは6位に入賞した。「ミス・ユニバース」後もモデルとして活躍したイルミラは、ヴェルサーチ、グッチ、ドルチェ&ガッバーナなどのファッション・ショーに参加した。
1997年、アンナ・バイチク
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サンクトペテルブルク出身のアンナは大きな成功を収めることはできず、46位に終わった。大会で彼女はロシア女帝のイメージを披露した。後に、彼女はジャーナリストの道を選んだ。
1998年、アンナ・マロワ
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アンナはヤロスラヴリ州にある小さな町トゥタエフで生まれた。1995年、渡米し、フロリダで英語を学んだが、そこでドナルド・トランプとも知り合っている。その1年後、トランプ氏は「ミス・ユニバース」、「ミス・アメリカ」、「ミス・ヤング・アメリカ」の3つの事業を買収した。アンナは1998年に「ミス・ユニバース」に出場したがセミファイナルに進出後、落選した。
1999年、アレクサンドラ・ペトロワ
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この年、大会に進んだのはチェボクサル出身のアレクサンドラ・ペトロワ。国際的な美人コンテストでデビューを果たす前からすでにモデルとして活躍し、テレビ番組やトークショーにも出演していた。しかし、「ミス・ユニバース」ではセミファイナルにも駒を進めることはできなかった。
2000年、アレクサンドラは20歳の誕生日を迎える2日前に何者かに殺害された。殺し屋は、犯罪界の大物だった彼女のパートナーを狙っていたが、誤ってアレクサンドラに銃弾が当たった。
2000年、スヴェトラーナ・ゴレワ
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モスクワ郊外のドミトロフ生まれ。娘に王冠を被らせたいという母親の願いにより美人コンテストに応募した。しかし、スヴェトラーナはコンテストで優勝することはできなかった。
その後、自分探しを続けたスヴェトラーナは3つの大学の卒業証書(経済学、通訳、ファッションデザイナー)を手にした。現在はデザイナーとして、自身のブランドLana2rockを成功させているほか、愛犬家クラブ「サモエド」のオーナーとしても活動している。
2001年、オクサナ・カランディレツ
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オクサナは国内レベルのコンクールでロシアの美を披露し、「準ミス・ロシア2001」に選ばれただけでなく、「ミス・ユニバース」のファイナルにも進出、10人のファイナリストに選ばれた。オクサナはスルグート生まれ。「ミス・ユニバース」に出場した後、モデルビジネスを始め、故郷で自身のモデルエージェンシーを開いた。
2002年、オクサナ・フョードロワ
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オクサナは「ミス・ユニバース」で優勝を果たした唯一のロシア代表となった。しかし、コマーシャル出演やチャリティ事業への参加など、優勝者に課されている義務を遂行しなかったとして、後にタイトルを剥奪されている。オクサナはその理由について、博士論文を執筆していて国外に出ることができなかったためだと説明した。後に彼女は法学博士となり、ロシア内務省アカデミーで少佐の称号を手にした。しかし、結局、彼女は司会者となり、子供番組「おやすみなさい、子どもたち」で一躍有名になった。
2003年、オレーシャ・ボンダレンコ
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オレーシャは1年前の「ミス・ロシア2002」で、オクサナ・フョードロワに1位を譲ったが、1年後に主要なコンテストにチャレンジした。「ミス・ユニバース」コンテストの総裁は、審査員たちは前年のロシア代表が優勝者の義務を果たさなかったことから、彼女に対し、最初から偏見を持っていたと明かしている。オレーシャはファイナルには進出しなかったが、有名なデザイナーであるワレンチン・ユダシキンが作った鮮やかな色合いの羽根の衣装もそれを救うことはできなかった。
2004年、クセニヤ・クストワ
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ノヴォシビルスク出身のクセニヤは、コンクールに出場が決まったとき、教育大学で心理学を学ぶ18歳の学生だった。この年の出場者の選抜は、プロの審査員ではなく、インターネットを使った一般ユーザーの投票によって行われた。クセニヤは最多の票を集めて、大会に臨んだが、15人のファイナリストに入ることはできなかった。
2005年、ナタリヤ・ニコラエワ
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この年のロシア代表に選ばれたのはロストフ・ナ・ドヌ生まれのナタリヤ。14歳のときに初めて美人コンテストに出場した。大会で身につけた民族衣装は、地元のモデルエージェンシーがナターシャに貸し出したものであった。しかし、審査員らは、現代風のロシア美女をまったく評価しなかった。
2006年、アンナ・リトヴィノワ
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ノヴォクズネツク出身のアンナ・リトヴィノワは大会で優勝は逃したものの世界で最も美しい美女20人に選ばれた。彼女の運命は劇的な結末を遂げた。2013年、彼女はドイツのクリニックで進行性メラノーマにより急逝したのである。
2007 年、タチヤナ・コトワ
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タチヤナ・コトワ「ミス・ロシア2006」で優勝し、翌年の「ミス・ユニバース」への切符を手にした。コトワはセミファイナルにも進めなかったが、コンクールの後、ロシアの有名なバンド「ヴィア・グラ」のソリストになり、その後もソロシンガーとして活躍を続けている。
2008年、ヴェラ・クラソワ
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ヴェラ・クラソワは大会で4位に入り、「準ミス・ユニバース」のタイトルを手にした。しかしその後、彼女は方向転換し、ジャーナリストの道を歩み始めた。最初は国営のニュースチャンネル「ロシア24」に、その後はチャンネル「360°」に出演した。
2009年、ソフィヤ・ルジエワ
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ソフィヤは15歳でモデル業を始めたが、「ミス・ユニバース」ではスキャンダルが発覚し、騒動となった。ソフィヤのヌード写真が流出したのである。ソフィヤは後に謝罪し、当時はそれが何のための撮影だったかよく理解していなかったと弁明した。審査員らは、この写真を理由に失格とはしなかったが、大会で優勝することはできなかった。
2010年、イリーナ・アントネンコ
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アントネンコは15人のファイナリストに選ばれたが、それ以上の成功は収めることができなかった。「ミス・ユニバース」に出場した後、彼女は女優となり、最初はミュージックビデオに出演していたが、後に長編映画にも出演した。
2011年、ナタリヤ・ガンチムロワ
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ナタリヤは19歳で「ミス・ロシア」で優勝し、国際コンクールへの切符を手にした。ファイナリストには選ばれなかったが、本人は出場経験自体が人生にとってとても意義のあるものになったと述べている。
2012年、エリザヴェータ・ゴロヴァノワ
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エリザヴェータ・ゴロヴァノワはスモレンスク州生まれ。法学の卒業証書を持っており、ピアノが得意。「ミス・ユニバース」ではトップ10人に入った。
2013年、エルミラ・アブドラザコワ
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エルミラはまだ18歳の学生のときに「ミス・ユニバース」に出場した。しかし、ロシア国内で彼女はそれほど人気がなく、多くの人々が彼女のコンテスト出場に否定的な反応を見せた。後に、彼女は、自身の民族性について書かれたメッセージを数多く受け取ったと打ち明けている。誹謗中傷を受け、彼女はソーシャルネットワークのアカウントを削除したが、後に再開している。
2014 年、ユリヤ・アリポワ
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ユリヤはファイナリストには選ばれなかったが、それでも落胆せずに人生を送った。彼女はソーシャルダンスが得意で、大学の卒業証書を2つ(火力発電工学と通訳)持っている。
2015年、ウラジスラヴァ・エフトゥシェンコ
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ウラジスラヴァは、「ミス・ワールド」でロシア代表として出場することになったソフィヤ・ニキチュークの代わりに「ミス・ユニバース」に出場した。ウラジスラヴァは民族衣装の審査の後で落選し、ファイナルには進めなかった。
この後、ウラジスラヴァはイタリアのデザインスクールで学び、ロシアのポップ歌手のミュージックビデオやドラマなどに出演した。現在はイタリア在住。
2016年、ユリヤ・コロリコワ
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ユリヤ・コロリコワはトリヤッティ出身。大学1年生でデザインの勉強をしているときにコンテストに出場した。ユリヤは民族衣装の審査で落選し、ファイナルに進むことはできなかった。
2017年、クセニヤ・アレクサンドロワ
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モデルで司会のクセニヤ・アレクサンドロワは22歳でロシア代表に選ばれた。金融関係の卒業証書を持っている。「ミス・ユニバース」では上位10人に入った。
2018年、ユリヤ・ポリャチヒナ
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ユリヤは子供の頃からプラスチックの王冠を頭に載せて遊ぶのが好きで、美女に選ばれることを夢見ていたという。そして2018年にそのチャンスを手にしたのである。セミファイナルに進出することはできず、その後、ジャーナリストとしての道を歩んだ。
2020年、アリーナ・サニコ
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コンテストそのものは2021年の初頭に行われたが、新型コロナの蔓延により、延期された。ロシア代表として出場したのはロストフ州アゾフ市のアリーナ・サニコ。しかし彼女はセミファイナルに進出できなかった。
とはいえ、アリーナの民族衣装はインターネット上で大きな話題となった。というのもその衣装のコンセプトを理解できる人がいなかったからである。デザイナーのグレブ・ヴィノクロフは、伝統から離れ、背中に巨大なダイアモンドをつけたキラキラのミニドレスを作った。頭からはクリスタルが伸びていた。
2021年、ラリナ・アラボワ
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初めて、タタールスタン出身の女性がロシア代表に選ばれた。ラリナは9歳から美女コンテストに出場していたが、国際レベルの大会に出場したのは2021年が初めてであった。大会では上位16人に入ることはできず、ファイナル進出はならなかった。
2022年、アンナ・リンニコワ
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モスクワ在住のアンナ・リンニコワはセミファイナルに進出した。国際情勢による圧力によって辛い思いをしたと後に打ち明けている。現在は、モデルスクールの開校と映画への出演を夢見ている。
2023年、マルガリータ・ゴルベワ
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22歳のマルガリータは今年の「ミス・ユニバース」のファイナルに進出した。デザイナーのオリガ・マリャロワが作った民族衣装は、ミハイル・ヴルーベリの絵画作品「白鳥の王女」をモチーフにしたもの。レースのコルセットとボリュームたっぷりのロングスカートには300メートルのチュールが使われ、装飾には天然の淡水パールやその他の宝石が使用された。
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