ロシアの画家たちが描いた魚釣り
ワシリー・アヴローリン『魚釣り』、1830年
レジャーや趣味としての釣りが貴族や知識階級の間に広まったのは、19世紀前半のこと。肉体労働に従事しない階級は、釣り糸を垂れて沈思黙考する時間的余裕と、釣り道具を揃えられる金銭的余裕があった。興味深いことに、こうした釣りの様子を最初に描いた画家のワシリー・アヴローリンの本業は輔祭を務める聖職者であった。
グリゴーリー・ソローカ『釣り人たち。スパスコエの光景』、1847年
描かれているのはタンボフ県の村である。遠くに見える池の対岸には、1825年に地元の地主の寄付によって建立された自印聖像教会が見える。この教会は現在も残っている。さすがに風景は大きく変わっているが、200年前の情景を思い浮かべることができるだろう。
アレクサンドル・ギネー『釣り人たちのいる風景』、1865年
ギネーは風景画家で、かの有名なイワン・シーシキンの友人である。彼は海洋画家ではないが、水を多く描き、また得意とした。となれば、釣りもまた、避けて通れない画題である。
ワシリー・ペロフ『魚釣り』、1867年
ペロフ自身が大の釣り好きで、画題としても身近だった。しかしこの画から見えるのは、そうした画家の趣味ばかりではない。少年の姿に注目して欲しい。実はペロフは、2人の子供を亡くしている。そのため、この少年の姿は特に繊細かつ、どこかこの世ならぬ印象で描かれている。
ワシリー・ペロフ『釣り人』、1871年
この画では移動派の画家としてのペロフの、登場人物の心理と日常の細部に対する高い感度がうかがえる。画面の大部分を占める人物は、おそらく地主であろう。釣りのプロセスに興奮気味な様子が、ややコミカルに描かれている。
アレクセイ・サヴラーソフ『ヴォルガ河の釣り人たち』、1872年
サヴラーソフは有名な風景画家で、よく知られる『ミヤマガラスの飛来』の作者である。それだけに、釣りを終えた老人と少年が釣果でウハーを作っている姿が中心となっているこの構図は珍しい。
イラリオン・プリャニシニコフ『釣りをする子供たち』、1882年
ワシリー・トロピーニンの門下生だったプリャニシニコフも移動派の有名画家の1人で、民衆の日常の場面を好んで描いた。自らも大の狩猟と釣り好きだった彼らしく、釣果を待つ子供の熱中ぶりと、魚を釣った子供たち喜びを表現している。
ヴラジーミル・マコフスキー『暑い日』、1881年
貴族の子供達が釣りをしているが、時季は猛烈に暑い真夏の正午。どうやら釣果も無く、楽しくもない様子だ。マコフスキーの特徴は、出来事そのものよりも、その出来事に関わる人物に注力して描くことにある。
ヴラジーミル・マコフスキー『魚釣り』、1884年
マコフスキーには釣りを主題にした作品が複数ある。この画で描かれているのも、貴族階級の家族だ。少年は釣りに熱中しているが、その釣り竿はただの長い枝。そこに駆け寄るのは妹と、おそらく家庭教師だろう。少年にとっては嬉しくない闖入者となりそうだ。
ヴラジーミル・マコフスキー『小さな釣り人たち』、1886年
こちらの作品では、農民の子供達が描かれている。マコフスキーは、子供達の遊びや熱中ぶりを好んで描いた。これらの作品は画廊経営者のトレチャコフ兄弟が、その有名な絵画コレクションに加えるため、マコフスキー本人から買い取ったものである。
ヴラジーミル・マコフスキー『釣り少年たち』、1887年
若き釣り人たちの、緊張した瞬間が主題となっている。明らかに魚が喰いついていて、少年たちは「合わせる」瞬間を見極めようと、真剣になっている。
ヴラジーミル・マコフスキー『釣り人。フィンランド』、1899年
ここに描かれている老人は、少年に負けないくらい釣りに熱中しているが、感情を表に出さないことについては、若い者より明らかに長けているようだ。
イワン・クラムスコイ『詩人アポロン・ニコラエヴィチ・マイコフ』、1883年
釣りという語は必ずしも画のタイトルに反映されないものの、画中の物語にはしっかり登場している。おかげで、詩人のアポロン・マイコフは釣り好きであったと、現代の我々も知ることができる。
ニコライ・ボグダノフ『漁師と少年』、1889年
ロシアの画家はしばしば農民や貴族を描いた。この絵の面白いところは、明らかに屋敷(後方に見える)を脱走したらしき貴族の少年が、老いた漁師に何やら熱心に尋ねているという構図である。
ナルキズ・ブーニン『魚獲り』、1903年
この絵について1903年の「ペテルブルグ新聞」は、ペテルブルク画家協会の展覧会でレフ・トルストイとレーピンがシャツ一枚だけの姿で魚獲りをしているブーニンの絵が出品中、と報じた。展覧会を訪れたトルストイの息子L.L.トルストイ伯爵はひどく立腹し、絵の展示を止めさせるにはどうするべきか、父に相談の電報を送ったほどだった。展覧会はたちまち大反響となったという。