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ロシアで最も情報発信している宇宙飛行士に関する5つの事実

宇宙飛行士記念博物館
オレグ・アルテミエフ(1970年生まれ)は、3回のミッションを通じて、宇宙ステーションで560日以上を過ごし、8回の船外活動を行い、さらに国際宇宙ステーション(ISS)での生活についてブログを書き続けた。

1.子供の頃は宇宙飛行士が好きではなかった

宇宙飛行士記念博物館

 オレグ・アルテミエフは子供の頃、両親とともにレニンスク市に住んでいた。父親は軍事技術者で、その近くのバイコヌール宇宙基地で働いていた。彼は後にインタビューで、宇宙飛行士は街ではあまり好かれていなかったと認めている。地元の慣習として、宇宙飛行士が地球に帰還すると、地元の子供たちは、道路沿いに送り出され、ヒーローたちを迎えた。夏の灼熱の太陽の下、そして冬の凍てつく風の中、彼らは、旗を手に宇宙飛行士の登場を待たなければならなかった。待ち時間は2、3時間にも及ぶことがあった。アルテミエフ自身も宇宙飛行士となり、同じように子供たちから歓迎されたとき、彼は、ずっと待っていた子供たちの気分を少しでも明るくしようと、手を振り返した。

2.宇宙飛行士ウラジーミル・ソロヴィヨフと会った後に決意

宇宙飛行士記念博物館

 学校卒業後、アルテミエフはタリン工科専門学校を卒業し、1990年代初頭にバウマン記念モスクワ国立工科大学に入学した。モスクワ近郊のコロリョフ市にあるミッションコントロールセンターの見学中に、彼は、「ソ連邦英雄」を2度受章した宇宙飛行士、ウラジーミル・ソロヴィヨフと会った。ソロヴィヨフは当時、宇宙ステーション「ミール」のフライトディレクターを務めていた。

 アルテミエフはソロヴィヨフに、どうして宇宙飛行士になったのか尋ねた。ソロヴィヨフは、長年研究していた真空バルブを訓練用模型でテストすることにしたからだ、と答えた。1999年、アルテミエフは宇宙訓練を開始した。書類を提出してから、チームへの参加が認められて(2003年)、初飛行するまでに(2014年)、15年の歳月が流れていた。

3.宇宙服をテストする

宇宙飛行士記念博物館

 宇宙飛行士の一員となる前、アルテミエフは試験技師として働き、船外での作業に必要な技術と装置の開発と試験に携わっていた。アルテミエフは、ロシア製宇宙服の「オルランM-GN」と「オルランVN」、そしてアメリカ製のEMUの試験に、自ら参加した。2008年には、先進的な「オルランMK」の圧力室試験の全サイクルにも加わった。試験技師としての経験は、実際の飛行においても大いに役立った。

 2018年8月、この宇宙飛行士は、新型宇宙服「オルランISS」を着用しての初の船外活動にも参加し、軌道上でこの宇宙服の、事実上の最終試験を行った。しかし、2022年8月、緊急事態が発生した。船外活動中に、彼が着ていた「オルランISS」のバッテリーの電圧が危険なレベルまで低下し、直ちにISSへ戻らざるを得なくなった。

4.「Mars500」の隔離実験に参加

宇宙飛行士記念博物館

 アルテミエフは、火星有人探査の国際シミュレーション実験「Mars500」に参加した。彼は、2009年に行われたこのプロジェクトの105日間のフェーズに、クルーとして加わった。国際クルーは6人から成っていた(ロシア人4人、フランス人1人、ドイツ人1人)。

 実験は、モスクワの医学生物学研究所の地上医療技術複合施設で行われた。目的は、閉鎖空間での長期隔離、および閉鎖集団での作業に対する人間の適応を研究することだった。

 参加者は、外界から完全に隔離された状態で生活し、ミッションコントロールセンターとの通信は、人為的な信号遅延(火星までの距離を模擬するため最大20分)をともなう無線と電子メールのみで行われた。

 アルテミエフは後に述べたところによると、この経験は、将来の実際の宇宙探査に向けた重要な心理的準備になったという。

5.特派員&ブロガー

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 アルテミエフは飛行中、ソーシャルメディアを積極的に活用して視聴者と交流し、ISSでの生活について語ったり、軌道上からの写真や動画を公開したりした。ロシア最大のSNSである「VKontakte」(略称は VK)の彼のページには、22万人以上のフォロワーがおり、メッセージングアプリのTelegramとMAXにもチャンネルがある。2022年3月19日にISSで、アルテミエフ率いるTASS支局が活動を再開した。 

*この宇宙飛行士について詳しくは、展示会「真の友オレグ・アルテミエフ」で知ることができる。展示会は、2026年3月8日まで宇宙飛行士記念博物館で開催されている。