
ロシア文学の必読の100冊:世界的な傑作と隠れた名作

ロシア科学アカデミーの「ロシア文学研究所」(プーシキン館)が、ロシア・ナビのために、ロシアとロシア文化に関心のある人なら誰もが読むべき作品のリストをまとめてくれた。
ロシア文学における傑作、名作は?その評価の基準は、ロシア国内と外国では一致しないことがある。外国では、重要な作家や作品が注目されないことがしばしばだ。とくに詩の魅力と真価は、翻訳で失われやすい。
ワレンチン・ゴロヴィン所長によると、このリストを作成するにあたり、文学研究者たちは、自らに次のような課題を課したという。
「人類の永遠の伴侶となって久しい作家たちがいる。そうした人々をできる限り網羅し、リストを拡充すること。その際に我々は、新しい優れた翻訳のおかげで、(外国でも)そうした評価を確立する可能性のある作家たちを紹介しようと努めた」
1. ニコライ・カラムジン『ロシア人旅行者の手紙』(1790年代)
18世紀末に、ニコライ・カラムジンは、約1年間ヨーロッパを旅した。ロシアに戻ると、彼は、書簡体で(ロシア文学最初のジャンルの一つ)、見聞を記した。彼は、フランス革命を含め、多くのことを目にしていた。
彼の『手紙』は、文芸誌に何度も掲載され、絶大な人気を博した。文学研究者たちは、ロシアの小説、ひいては現代ロシア文学全般の基礎を築いたのは、まさにこの作品だと考えている。さらに、それは、ロシア人旅行者のヨーロッパ観を変えた。
*日本語訳:『ロシア人の見た十八世紀パリ』(福住誠訳)、彩流社、1995年。
2. アレクサンドル・グリボエードフ『知恵の悲しみ』(1822~24年)
この韻文による喜劇は、ロシア演劇における真の革命となった。単純な言語で書かれ、18世紀の古典主義のすべての規範を破壊し、最初のリアリスティックな劇になった。今日にいたるまで『知恵の悲しみ』は、ロシアの多数の劇場で上演されており、その主人公の名は普通名詞化している。
舞台はモスクワ。時代は1812年の「祖国戦争」から10年後。自由主義的な見解をもつ青年アレクサンドル・チャツキーが外国から帰ってくる。彼は、子供のころ好きだったソフィーとの再会を夢見ており、彼女の父親に結婚の許しをもらうつもりだ。しかし、時すでに遅し。この若い娘は、チャツキーが嫌悪し軽蔑するろくでなし、モルチャリンに恋をする。「新しい人間」チャツキーは、疎外感を感じ、みんなと喧嘩する…。この劇の詳細についてはこちらをどうぞ。
*日本語訳:
・小川亮作 訳、岩波文庫、1954年。
・倉橋健訳、世界文学大系 第89 (古典劇集 第2)、1963年。
3. アレクサンドル・プーシキン。詩
このロシアを代表する詩人は、約360編の詩を書いており、幼少期から韻文を書き始めている。プーシキンが描いていない現象や人生の状況を見つけるのは難しい。
彼の詩「わたしは妙なる瞬間を覚えている…」、1825年)は、愛についての最高のロシア詩の一つと考えられている(ちなみに、210もの言語に翻訳されている)。 『預言者』(1826年)は、詩の使命についての力強い、『聖書』を彷彿させる宣言であり、『思い出』(1828年)は、深い悔恨の念をうたっている。
*日本語訳:神西清、草鹿外吉、川端香男里他訳 『プーシキン全集』全6巻、河出書房新社、1974年。
4. アレクサンドル・プーシキン『エフゲニー・オネーギン』(1823~1830年)
この韻文小説は、プーシキンの作品の頂点であり、「ロシアの生活の百科事典」ともみなされている。作者はこの作品で、地方の貴族の暮らしと農村の生活を描き、ある意味で俗っぽいサンクトペテルブルクと昔ながらのモスクワを描写する。
首都サンクトペテルブルク出身の若い貴族オネーギンが農村にやって来て退屈し、気晴らししたいと思いつつ、何の気なしに悲劇とメロドラマに首を突っ込む。
隣家の地主貴族の娘タチアナは、彼に愛を告白する(タチアナの恋文は、ロシア文学最高の愛の告白だろう)。ところが、オネーギンは、単なる気まぐれで、彼女の妹オリガに言い寄る。オリガには婚約者レンスキーがおり、彼はオネーギンの友人だった。レンスキーはオネーギンに決闘を申し込む…。
プーシキンが独特の形式、いわゆる「オネーギン・スタンザ」を編み出しているため、この作品の翻訳は困難を極める。「オネーギン・スタンザ」は、明確な構造と韻のパターンをもち、作品全体で展開されている。
しかし、そのオペラは世界中で人気を博することとなる――1877~78年にピョートル・チャイコフスキーは、この韻文小説をオペラ化した。
*日本語訳:
・木村彰一訳、講談社文芸文庫、1998年。
・池田健太郎訳、岩波文庫、1962年。
その他
5. アレクサンドル・プーシキン『ボリス・ゴドゥノフ』(1825年)

この悲劇『ボリス・ゴドゥノフ』に基づいて、1869年には、作曲家モデスト・ムソルグスキーが有名なオペラを書いた。さらに、この作品は、さまざまな劇場で何度も上演され、映画化もされてきた。
この悲劇の核心には、ロシア史のなかでも最も謎めいた一頁がある。すなわち、リューリク朝最後の後継者だったドミトリー皇子の殺害だ(事故死という説もある)。やがて、ドミトリー皇子を名乗る偽者がポーランドに支持されて来襲し、いわゆる「大動乱(スムータ)」の時代が始まる。こうした経緯から、民衆の意識にはこんな伝説が根付く。ボリス・ゴドゥノフが、自分が帝位に就くためにドミトリー皇子暗殺を命じたのであり、歴史は彼をそのために罰したのだ、と。
*日本語訳:佐々木彰訳、岩波文庫、1957年。
6. アレクサンドル・プーシキン『青銅の騎士』(1833年)

この詩的な物語は、サンクトペテルブルクの真の賛歌だ。「我は汝を愛す、ピョートルの創造物よ」は、この作品の最も有名なフレーズの一つ。ピョートル1世(大帝)の騎馬像は、この街のシンボルだが、作品名「青銅の騎士」はその通称となった。
この作品は、帝都の壮麗な描写に満ちているが、しかしストーリーは、悲しい事件をめぐって展開していく。プーシキンは、1824年に市内で起きた大洪水を描いており、それが物語の背景をなす。
主人公エフゲニーは、婚約者の家が洪水に流され、彼女が亡くなったことを知る。彼は無我夢中で街を走り回り、自然災害の恐るべき惨禍を目の当たりにする。そして…。
*日本語訳:郡伸哉訳、群像社、2002年
7.『大尉の娘』(1836年)

18世紀にロシアのほぼ全土を席巻したエメリヤン・プガチョフ率いるコサック・農民の大反乱を背景としている。しかし、これは何よりも、これは名誉、貴族の義務、そして愛についての物語だ。
主人公の若きピョートル・グリニョフは、国境付近の僻遠の要塞へ軍隊勤務に向かう。途中、見知らぬ人が、大吹雪のなかで道に迷わぬように助けてくれる。感謝したグリニョフは彼に、自分の毛皮外套を贈る。そしてそれが後に彼の命を救う。なぜなら、見知らぬ人は、まさにプガチョフその人だったからだ。
この小説は、後に格言となったフレーズだけ考えても、読む価値がある。すなわち、「神よ、我ロシアの反乱を見ずに済むように――それは無意味で無慈悲だ」
プーシキンは、反乱を率いたアタマン、エメリヤン・プガチェフの人物像に非常な関心を抱いており、この小説のほか、歴史研究『プガチョフ反乱史』も書いている。
*日本語訳:
『大尉の娘』 神西清訳、岩波文庫、2006年3月
『大尉の娘』 川端香男里訳、未知谷、2013年
『大尉の娘』 坂庭淳史訳、光文社古典新訳文庫、2019年
その他
8. ミハイル・レールモントフ。詩(「悪魔」、「ムツィリ」など)
レールモントフは、プーシキンに次ぐロシア第二の詩人と考えられている。彼はロマンティックなスタイルの多くのすばらしい抒情詩や叙事詩で愛されている。そこでは、善と悪、高貴と卑しさ、自由と束縛の相克が見られる。
彼は、「詩人の死」という詩によって、詩人としての名声を得た。これは、彼が崇拝していたアレクサンドル・プーシキンの非業の死の後に書いたもの。大詩人の死に対して政権が責任を負っている、と告発したことで、レールモントフは自由を失い、カフカスに流刑となった。しかし、これは、彼の作品に大きな影響を与えた。山の風景、急流、カフカスの美女は、彼の代表作である叙事詩、「悪魔」(1839年)と「ムツィリ」(1838~39年)をはじめとして、多くのロマンティックな詩にインスピレーションを与えた。
*日本語訳:『レールモントフ選集』全2巻、草鹿外吉・池田健太郎編訳、光和堂、1976年。
10. ニコライ・ゴーゴリ『ディカーニカ近郷夜話』(1829~1832年)

この連作短編集の舞台は、ロシア帝国の小さな村(現在はウクライナ領)。ウクライナはかつて「小ロシア」と呼ばれたことがあった。ゴーゴリは、ウクライナ語の言葉に加え、この地方の生活、習慣、伝統、農村の暮らしぶりを見事に描いている。
『ディカーニカ近郷夜話』の物語は多種多様で、ほとんどホラー風の怖い話も含まれている(『五月の夜(または水死女)』や『恐ろしき復讐』など)。あるいは逆に陽気な話もある(『降誕祭の前夜』)。しかし、いずれも邪悪な力、悪霊と強く結びついている。
同時代人たちはこの短編集を賞賛した。たとえば、プーシキンは、その言語とイメージの鮮やかさに感嘆した。
*日本語訳:平井肇訳、岩波文庫、1937年。
11. ニコライ・ゴーゴリ『タラス・ブーリバ』(1835年)
この物語は、中編小説集『ミルゴロド』に収録されており、『ディカーニカ近郷夜話』の続編と考えられている。ストーリー的にはつながっていないが、ウクライナの民間伝承に基づいている。 4つの中編のうち、2つはより有名で、何度も映画化されている。すなわち、『ヴィイ』と『タラス・ブーリバ』で、後者は、ザポロージャ・コサックとその2人の息子の話だ。愛と裏切りについての極めてドラマティックな物語。
*日本語訳:ニコライ・ゴーゴリ『ゴーゴリ全集3』河出書房新社、1976年。
12. ニコライ・ゴーゴリ『死せる魂』(1835年)

ゴーゴリ自身はこの作品を、散文で書いたにもかかわらず、叙事詩と呼んでいた。古代の叙事詩に通じるのは、その形式だ。主人公チチコフは、いくつかの「地獄の圏」をさ迷う。オデュッセウスが彷徨しつつ、いろんな怪物に遭遇するのを想起させる。
また、この「叙事詩」には、ロシアとロシア人についての、長い「叙情的逸脱」が含まれている。この作品は、ゴーゴリの創作の頂点と見なされており、ロシア的魂を理解するための主要な鍵の一つだろう。
小貴族パーヴェル・チチコフが小さな町にやって来て、自分の地位を高めるために、地主のふりをする。しかし、問題がある――彼は、ただ一人の「魂」、つまり農奴も所有していないのだ(ロシア語の魂「ドゥシャー」には、農奴の意味もある)。そこで彼は、ロシアの官僚機構の隙間に付け込んで、詐欺を企てる。
地主はみな、自分が所有する農奴のリストをもっていたが、それは数年に一度しか更新されなかった。そのため、農奴が死亡しても、次の改訂までは、生きているものとしてリストに残っており、地主はその農奴に割り当てられた国税(人頭税)を払わなければならなかった。
チチコフは、地主たちを訪れて、そうした「死んだ魂」を売ってくれと頼む。チチコフは、そうやって安く買い集めた農奴を担保にして、銀行から大金を借りるつもりだった。しかし、こうした提案への反応は、地主ごとに、十人十色だった…。
*日本語訳:
・平井肇、横田瑞穂訳、岩波文庫、1977年。
・中村融訳『ゴーゴリ全集5』、河出書房新社、1981年。
・東海晃久訳、河出書房新社、2016年。
13. ニコライ・ゴーゴリ『外套』(1841年)
「ペテルブルク物」の一つであるこの物語は、ロシア文学で初めて「小さな人間」、つまり一介の市民に焦点を当てた。アカーキー・アカーキエヴィチ・バシマチキンは、書類の清書に全身全霊を捧げた下級役人だ。彼は、新しい外套を仕立てるのに有り金ぜんぶを使い果たしたが、その外套はすぐに盗まれてしまう。しかし彼は、反抗せず、静かに苦悩し、狂っていく…。
*日本語訳:『外套・鼻』(平井肇訳)、岩波文庫、2006年。
14. ニコライ・ゴーゴリ『検察官』(1835年)

汚職、追従、権力の一般人への態度などについての、ロシア喜劇の代表作の一つで、戯曲として書かれている。今でも多数の劇場で上演されている。
舞台は小さな地方都市。ある日、住民らは、首都から検察官がお忍びでやって来るという噂を聞きつける。町のお歴々は、検察官を怖がるあまり、ある小役人をその超重要人物と取り違える。その役人は、たまたまこの街に来たにすぎず、トランプ賭博で素寒貧になっていた。しかし彼は、市長やその部下をはじめ、皆の誤解を解くことを急がない。それどころか、彼は、大層な歓待を利用してやろうと思い、賄賂を受け取り、さらには市長の令嬢と結婚しようとしさえする…。
*日本語訳:
『検察官』米川正夫訳、岩波文庫、1961年
『査察官(検察官)』浦 雅春訳、光文社古典新訳文庫、2013年
その他
15. ワシリー・ジュコーフスキー。叙事詩(「スヴェトラーナ」、「十二人の眠れる乙女」)
ジュコーフスキーは、ロシアのロマン主義の父と考えられている。詩人は多くの哀歌、歌、ロマンス、バラード、叙事詩を書いた。彼の最も有名な作品は、叙事詩の、『スヴェトラーナ』(1812年)と『リュドミラ』(1908年)、そして『十二人の眠れる乙女』(1810~1817年)だ。作者はこれを、「二つのバラードで構成された古の物語」と呼んでいる。この詩人の主な文学的業績の一つは、今日では古典とみなされている、ホメロスの『オデュッセイア』のロシア語訳だ。
16. ウラジーミル・オドエフスキー『ロシアの夜』(1844年)
ロシア文学初の深遠な哲学的小説。学校のプログラムには入っていないが、19世紀文学における大きな出来事であり、批評家から絶賛された。『ロシアの夜』のジャンルを明確に分類することは不可能だ。それは、毎晩さまざまな話題について思索する知識人同士の会話を記録したかのように見える。
17. アントニー・ポゴレリスキー『黒いめんどりと地下のこびとたちの物語』(1825~1826)
ポゴレリスキーは筆名で、本名はアレクセイ・ペロフスキー。アレクセイ・ラズモフスキー伯爵の非嫡出子だ。彼は軍人だったが、文学に興味をもち、ドイツ・ロマン派の作家、エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマンの愛読者だった。ペロフスキーは、甥で養い子だったアレクセイ・トルストイのために、この有名な物語を書いたと考えられている。トルストイは、後に作家となり、名作『白銀公爵』を書いている。
あらすじは次の通り。少年アリョーシャ(アレクセイの愛称)は、休暇中に寄宿学校に残り、鶏に餌をやり、黒い鶏と友達になるが、その鶏は、実は地下王国の大臣の仮の姿だったことが判明する…。ちなみに、アレクセイ・トルストイの又従弟であるレフ・トルストイも、この物語が好きだった。
*日本語訳:『黒いめんどりと 地下のこびとたちの物語』(室原 芙蓉子訳)、新読書社、1989年。
18. エヴゲニー・バラトゥインスキー『舞踏会』(1828年)
後世の人間にとっては、バラトィンスキーは、その天才的な友人、アレクサンドル・プーシキンの影に隠れていた。しかし、同時代の人々は、彼の詩を高く評価し、韻の軽やかさと優雅さを称賛した。詩「舞踏会」のなかで彼は、自らが直接知っていたモスクワの社交生活を描いている。
19. セルゲイ・アクサーコフ『家族の記録』(1840~1856年)
アクサーコフは、有名な評論家、演劇評論家、検閲官だった。また、釣りと狩猟について、初めて高度に芸術的な『日記』を書いている(イワン・ツルゲーネフの有名な『猟人日記』は、彼を範としている)。
彼は、重要な回想録の著者でもある。彼の三部作『家族の年代記』は、単なる自伝ではなく、社会制度とシベリアの地主たちの生活を、大きなスケールで描き出している。
*日本語訳:『家族の記録』(黒田辰男訳)、岩波文庫、1951年。
20. アレクセイ・トルストイ『白銀公爵』(1859~1861)
最も有名な歴史小説の一つ。16世紀、イワン雷帝(1530~1584年)の治世の出来事を描いている。物語の中心となるのは、架空のロシアの公爵王子、ニキータ・セレーブリャヌイの偉業と冒険だ。その周囲には、ツァーリやその親衛隊員(オプリーチニキ)など、当時の実在の人物が登場する。この小説は、実際の歴史文書に基づいて書かれたため、歴史家と批評家の両方から高く評価された。
*日本語訳:『白銀公爵』(中村融訳)、岩波文庫、1951年。
21. レフ・トルストイ『アンナ・カレーニナ』(1873~77年)

トルストイによるもう一つの名作。しかし、『戦争と平和』とは異なり、作者はここでは国全体をひっくり返した歴史的大事件ではなく、現代の家族生活における幸福と不幸の性質に焦点を当てている。このテーマは、『戦争と平和』の執筆から必然的に生まれたもので、作家は並々ならぬ関心を抱いていた。ちなみに小説には、トルストイ自身に驚くほど似た主人公コンスタンチン・レーヴィンが出てくる。彼は、世俗的な生活を離れ、農民といっしょに畑を耕し始める。
*日本語訳:
・中村融訳 「アンナ・カレーニナ」 岩波文庫(上中下)、改版1989年。
・木村浩訳 「アンナ・カレーニナ」 新潮文庫(上中下)、再改版2012年。
・望月哲男訳 「アンナ・カレーニナ」 光文社古典新訳文庫(全4巻)、2008年。
・北御門二郎訳 「アンナ・カレーニナ」 東海大学出版会(上下)、新版2000年。
その他
22. レフ・トルストイ『戦争と平和』(1863~69年)

トルストイの代表作で、世界的に有名な、4巻からなる叙事詩的な一大長編。これは、いくつかのロシアの家族の物語であり、重要な歴史的事件、主にロシアとナポレオン治下のフランスとの間の戦いを背景にしている。若々しい恋愛、裏切り、不倫、そして戦争…。トルストイは多数のさまざまな登場人物(ナポレオンを含む)に入り込んで、彼らの視点から語る。いずれも、信じ難いほど深く、多種多様だ。大長編を読破する余裕がない人には、オスカーを受賞したセルゲイ・ボンダルチューク監督のソ連映画を見ることをお勧めする。
*日本語訳:
・藤沼貴訳(岩波文庫 全6巻、2006年)、ワイド版2014年。
・望月哲男訳(光文社古典新訳文庫 全6巻、2020年1月 - 2021年9月)。
・工藤精一郎訳(新潮文庫 全4巻、改版2005-2006年)。
・北御門二郎訳(東海大学出版会 全3巻)。
その他
23. レフ・トルストイ『セヴァストポリ物語』(1855~1856年)
トルストイは若い頃、数年間カフカスで従軍し、1853~1856年のクリミア戦争中は、ほぼ1年間を最激戦地のセヴァストポリで過ごした。彼は『セヴァストポリ物語』の中で、自分が味わった困難と戦争の恐ろしさを活写した。
*日本語訳:『セワ゛ストーポリ』(中村白葉訳)、岩波文庫、1954年。
24. レフ・トルストイ。中編と短編(『コサック』、『ハジ・ムラート』、『イワン・イリッチの死』、その他)
トルストイは『コサック』(1862年)や『ハジ・ムラート』(1896~1904年)などで、繰り返しカフカスのテーマを取り上げている。ストーリーは、実話に基づいており、愛、名誉、裏切りに関するイマジネーションが盛り込まれている。
彼は、短編においても、死についてしばしば深く思索しており、『イワン・イリッチの死』(1882~1886年)では、まさに死を直視している。
*日本語訳:『イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ』(望月哲男訳)、光文社古典新訳文庫、2006年。
25. イワン・ゴンチャロフ『オブローモフ』(1847~1859年)

これは、ロシア的な怠惰に関する小説だと言える。この作品のおかげで、ロシア語の日常会話に「オブローモフシナ(オブローモフ主義)」という概念が根付いた。
作者ゴンチャロフの主人公、イリヤ・オブローモフは、ひたすらソファーに寝そべっている。彼は、領地と資産をもつ貴族だ。つまり、国のために勤務したり、生活のために働いたりする必要はない…。忠実な召使が、彼のために何でもやってくれる。こういうオブローモフと対照的なのが、意志的で活動的なアンドレイ・シュトリツだ。
しかし、オブローモフが夢のような「眠り」から一時に抜け出したことがあった。恋に落ちたときだ。だが彼は、結婚までこぎつけることができるだろうか?
作者が、怠け者のオブローモフの側にも、合理主義者のシュトリツの側にも立っていないのは興味深い。
ロシア的怠惰について詳しくは、こちらをどうぞ。
*日本語訳:
・米川正夫訳、岩波文庫、1948年。
・井上満訳、ロシア・ソビエト文学全集:平凡社、1965年。
・木村彰一・灰谷慶三訳、講談社・世界文学全集、1983年。
26. フョードル・ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(1878~1880年)

ドストエフスキーの最も重要な小説の一つであり、信仰、道徳、義務、愛に関する彼の思索の真髄だ。この驚くべき物語は、探偵小説の形態をとる。つまり、作者は筋を刑事報告の形で運んでいく。
3人の息子のうちの1人は、父殺しで告発された。金銭問題と微妙な恋愛が事件に絡んでいる。息子と父親は、若い美女をめぐって争っていたらしい。さらに小説の末尾では、作者は、法廷の長い場面と目撃者、検事、弁護士の発言を示し、読者を最後までサスペンスに釘付けにする。
*日本語訳:
・原卓也訳、新潮文庫。
・亀山郁夫訳、光文社古典新訳文庫。
・米川正夫訳 岩波文庫。
その他
27. フョードル・ドストエフスキー『地下室の手記』(1863年)
『地下室の手記』は、ジャンル、形式、内容において革新的な作品だ。これは、20世紀のディストピアに影響を与えた実存主義的な小説であり、哲学的な物語である。また、告白小説であり、我々の欲望の本質をめぐる悲劇でもある。
*日本語訳:
『地下室の手記』(江川卓訳)、新潮文庫、1970年
『地下室の手記』(安岡治子訳)、光文社古典新訳文庫、2007年
『新訳 地下室の記録』(亀山郁夫訳)、集英社、2013年
28. フョードル・ドストエフスキー『白痴』(1868年)

ドストエフスキーは、邪悪で不道徳な人間の描写の深さにおいて他の追随を許さない。しかし、この小説では、単に肯定的人物であるだけでなく、ほとんどキリスト的な特徴を備えたほぼ理想的な人物を示すこととした。
そのムイシュキン公爵は、純朴で、人を信じやすく、率直で、様々な人物の様々な情念の渦の中心に、心ならずも引き込まれる。周りには嘘つきや酔っ払いもいるが、それでも彼は、自分を見失うことはない。そして、誰もが「淪落の女」と決めつけている女性に対しても、その美質と運命を洞察し、心から同情する。
*日本語訳:
・亀山郁夫訳 『白痴』 光文社古典新訳文庫、2018年。
・木村浩訳 『白痴』 新潮文庫(上下)、改版2004年/『全集 9・10』(新潮社)。
・望月哲男訳 『白痴』 河出文庫(全3巻)、2010年。
・米川正夫訳 『白痴』 岩波文庫(改版 上下)/『全集 7・8』(河出書房新社)。
・北垣信行訳 『ドストエフスキイ 白痴』 講談社〈世界文学全集42・43〉。
・小沼文彦訳 『ドストエフスキー全集 7 白痴』 筑摩書房。
29. フョードル・ドストエフスキー『罪と罰』(1865~66年)

貧しい学生ロジオン・ラスコーリニコフは、やっとのことでやり繰りしており、質屋の老婆から借金せざるを得ない。物乞いさながらの暮らしにやりきれなくなり、彼は、哲学的に自問自答する。「俺は震え慄くちっぽけな生き物なのか、それとも俺にはその権利があるのか」。自分は「他人と同じようなシラミにすぎないのか、それとも人間なのか」。
自分はシラミなどではなく、運命を自ら決定できることを自分に証明するために、ラスコーリニコフは犯罪をおかすことを決意する。すなわち、老婆を殺すことを…。.
ドストエフスキーは思索する。暴力とは何か、人はどんな状況に追い込まれ得るか、どんな極端な行動に出ることを余儀なくされるか――殺人や売春にさえも…。ヒロインのソーニャ・マルメラードワは、家族の生活を支えるために娼婦となった。
この小説は、人生の意味の探求について、文豪の重要な見解を示している。
*日本語訳:
・新潮文庫版 工藤精一郎訳、1987年、改版2010年。
・岩波文庫版 江川卓訳。旧版は中村白葉訳。
・光文社古典新訳文庫版 亀山郁夫訳、2008年秋~09年夏。
・角川文庫版 、米川正夫訳、旧新潮文庫版。
・中公文庫版、池田健太郎訳 上・下巻。元版は「世界の文学 ドストエフスキイ」中央公論社、新装版1994年。
30. イワン・トゥルゲーネフ『猟人日記』(1847~1851年)

この短編連作集は、トゥルゲーネフが故郷の領地で見聞した実話に基づいて書かれた。作家は、ロシアの僻地においてさまざまな人間模様が織り成す世界の全体を、その生活の葛藤、問題とともに示している。
短編は、文芸雑誌『現代人』に一つずつ掲載され、その後、単行本として出版された。この作品は画期的だと認められた――ロシア民衆の全体像をこれほど幅広く捉えたのは、トゥルゲーネフが最初だったからだ。
*日本語訳:
・佐々木彰訳、岩波文庫、1958年。
・工藤精一郎訳、新潮文庫、1972年。
・中山省三郎訳、角川文庫、1990年。
31. イワン・ツルゲーネフ『春の水』(1872年)
若いサーニンは、ヨーロッパを旅して、若いイタリア人女性と出会い、次第に彼女を愛するようになる。結婚を考えつつ、ヴィースバーデンへ用事で赴いた彼は、そこで貴婦人に誘惑される…。
ツルゲーネフは、精神力と道徳的資質の両面で、女性を男性より高みに置いた、最初の作家の一人となった。いわゆる「ツルゲーネフの女性」のイメージは、意志薄弱な男たちとともに、彼の小説の多くに登場する。
*日本語訳:『春の水』(中村融訳)、岩波文庫、1961年。
32. イワン・トゥルゲーネフ『貴族の巣』(1856~1858年)

トゥルゲーネフは、貴族という階層のはらむ問題に取り組み、さらにロシアと西欧の対立や、道徳的原則の問題にも焦点を当てている。
ヨーロッパの生活に失望したラヴレツキーは、「大地を耕す」ために、ロシアの自分の領地に戻ってくると、隣家の貴族の令嬢リーザと恋に落ちる。二人は相思相愛となり、やがて、ヨーロッパに残っていた妻の死を知った彼は、リーザに求婚する。だが突然、妻が生きていることが分かり、リーザは傷心を抱いて、修道院に去る…。
この小説は、いわゆる「トゥルゲーネフ的女性」のイメージを形作った。それは、「貴族の巣」で育った、信じがたいほど強い精神をもつ若い令嬢だ。この小説の題名も、普通名詞化して使われている。
*日本語訳:小沼文彦訳、岩波文庫、1952年。
33. イワン・トゥルゲーネフ『父と子』(1860~1861年)

若いアルカージー・キルサーノフは、学生で「ニヒリスト」の友人エヴゲーニー・バザーロフといっしょに父親の家に帰ってくる。バザーロフは、医者になるために勉強していて、将来は、民衆の中で働き、彼らに奉仕するつもりだ。彼は、宗教を含むあらゆる権威を否定し、アルカージーの父や叔父と議論する。彼らは、貴族で自由主義者だ。しかし、さしものニヒリストも、愛には抵抗できない…。
ロシアの作家たちは、それまでにも世代間の対立のテーマに触れたことはあった(たとえば、グリボエードフの『知恵の悲しみ』)。しかし、このテーマを極限まで突き詰めたのがトゥルゲーネフのこの小説だった。彼はまた作中で、洗練された貴族を嘲笑する一方、新しい進歩的な主人公を示した。彼にとって、真の人生は仕事のなかにあり、怠惰な暮らしのなかにはない。
*日本語訳:
・佐々木彰訳、講談社文庫。
・金子幸彦訳、岩波文庫、1960年。
・工藤精一郎訳、新潮文庫、1998年。
34. ニコライ・ネクラーソフ。詩(『赤鼻のマロース』、『誰にロシアは住みよいか』、その他)
『誰にロシアは住みよいか』は、その形式において、主人公が放浪する古代の、ホメロス風の叙事詩を彷彿とさせるほか、ロシアのおとぎ話的、民話的な要素もある。
詩の筋は次のようだ。さまざまな村から来た七人の男が熱くなって議論している。題名にもなっているが、いったい誰にとってロシアは住みよいのかについてだ。ある者は、地主は幸せに暮らしていると言う。他の者は役人だと言い、また他の者たちは、司祭、商人、貴族、皇帝を挙げる。七人は、本当に幸せな人を見つけるために、ロシア全国を旅することにした…。しかし、いったい幸福とは何なのか、彼らはそれを見つけることができるのか?
政府の検閲は、この詩を見逃さなかった。ネクラーソフは、修正しつつ、一語一語のために戦わなければならなかった。
この詩は、農民の窮状を明らかにし、農奴制を批判する。そして、それを廃止した改革も、地主と農民の暮らしをいよいよ苦しくしただけだったと暴露する。
ネクラーソフは、ロシアの女性の運命についても心を痛めていた。彼女たちの容易ならざる運命は、作中で見事に描かれている。
*日本語訳:
『だれにロシアは住みよいか』(大原恒一訳)、論争社、1993年。
『赤鼻のマローズ:叙事詩集』(大原恒一訳)、論争社、1994年。
35. フョードル・チュッチェフ。詩
チュッチェフの初期の詩は、ドイツ・ロマン主義の影響を受けているが、後に独自の詩を書くようになり、創造性の本質について思索した。彼は、プーシキンに論争を挑み、詩『プーシキンの自由への頌歌に寄せて』(1820年)のなかで、「魔法の弦で/心を和らげよ、だが心を乱すな!」とうたった。
チュッチェフにとっては、孤独と、人間の宇宙との対話も、重要なテーマだった(「小さな、名もなきものが多くある…」(1859年)。1866年に彼は、「頭でロシアは分からない」を書いたが、これはおそらく彼の最も有名な作品だろう。
36. アファナシー・フェート。詩
ロマン主義的なこの詩人の主なテーマは、自然、愛、美、芸術だ。彼の抒情詩や哀歌は、非常に旋律的なので、多くが曲につけられている。たとえば、チャイコフスキーのお気に入りの詩は、「南の夜の干草の山で…」(1857年)だった。
フェートは、ゲーテの『ファウスト』、オウィディウスの『変身物語』、カトゥルスの詩、その他多くの古代の著作の翻訳者としても、同時代の人々に記憶されている。
37. ドミトリー・グリゴローヴィチ『ガタパーチャの少年』(1882年)(*ガタパーチャとはマレー語で「ゴムの木」の意味)
ロシアの貧困層の悲惨な生活を描いた悲痛な物語。主人公は孤児の少年だ。彼はサーカスで曲芸師として働いており、その身体の柔らかさで観客を驚かせている。彼の運命の物語は、裕福な家庭の少女、ヴェーラの印象を背景に語られる。彼女は、サーカスを見にやって来て、主人公の死を目撃した。
38. ウラジーミル・コロレンコ『盲目の音楽家』(1886年)
コロレンコは、リアリズム作家であり、短編小説の名手であり、また膨大な回想録『わが同時代人の歴史』の著者でもあった。彼は、19世紀後半から20世紀初頭のロシアの生活と知的環境を生き生きと包括的に描き出した。
『盲目の音楽家』は、この作家の最も有名な物語の一つだ。音楽を通して世界について学ぶ盲人の生活と感情を、心理学的に分析している。コロレンコ自身は、このジャンルをエチュードと定義した。
*日本語訳:
『盲音楽師』(中村融訳)、岩波文庫、1954年。
『盲目の音楽家』(長谷川研三訳)、古川書房、1973年。
『わが同時代人の歴史』(全4巻)(斎藤徹訳)、文芸社、2006年。
39. フセーヴォロド・ガルシン『赤い花』(1883年)
ガルシンは、19世紀後半の作家が取り組んだ、人間の精神の深奥を探る手法を展開した。同時代の人々は、彼を作家、そして短編の名手として高く評価した。彼の作品中、最も重要な物語の一つは、自伝的な『赤い花』であり、精神疾患を患う人の内面世界へ、驚くほど入り込んでいる。
*日本語訳:
『あかい花』(神西清訳)、岩波文庫。
『ガルシン全集 全1巻』(中村融訳)、青娥書房、1975年。
40. ニコライ・レスコフ。中編と短編(『ムツェンクス郡のマクベス夫人』、『魅せられた旅人』 、『髪結いの芸術家』)
レスコフは、同時代の幾人かの作家ほどは、外国で知られていない。しかし、欧米では、シェイクスピアの、あの殺人を犯すヒロインをテーマにした、彼のファンタジーが映画化されている。『ムツェンスク郡のマクベス夫人』だ。これは、オリョール県ムツェンスク郡に住む商人の若い妻、カテリーナ・イズマイロワの物語である。
彼女の夫は、仕事で頻繁に出かけており、彼女は、裕福な家に一人残され、退屈している。カテリーナは、美男子の使用人セルゲイに惚れ、やがて二人は激しい恋に落ちるが、偶然、義父に知られてしまう…。愛人を救うために、カテリーナは殺人を犯すことを決意する。しかも、一度ならず。
当時の批評家たちは、この作品に讃嘆した。彼らによると、レスコフは、商人の暮らしの「闇」を見事に描き出し、金と欲望に縛られた暮らしを鮮やかに描写した。そして、それは「悲劇を刻んだルボーク(版画)」となったという。
*日本語訳:
『魅せられた旅人』 (木村彰一訳)、岩波文庫、1994年。
『真珠の首飾り 他二篇(「ムツェンクス郡のマクベス夫人」、「かもじの美術家」)』(神西清訳)、岩波文庫、2000年。
『魅せられた旅人』(東海晃久訳)、河出書房新社、2019年。
『左利き レスコフ作品集1』(岩浅武久訳、群像社「ロシア名作ライブラリー」、2020年)
『髪結いの芸術家 レスコフ作品集 2』(中村喜和・岩浅武久訳)、群像社「ロシア名作ライブラリー」、2020年。
41. アレクセイ・ピーセムスキー『千の魂(千人の農奴)』(1853~1858年)
ウラジーミル・ナボコフは、この社会小説をスタンダールの『赤と黒』と比較した。これはロシア文学における初期の自然主義の一例であり、モラルよりも「実際的な」事柄が、筋の基調をなしている。
貧しいアマチュア作家が、小さな町の学校に奉職させられる。彼は、シニカルな出世主義者で、
自分に恋する素朴な田舎娘を拒絶し、もう若くない富裕な女地主と、打算的な結婚する。彼の社会的地位と財産は、どんどん増していったが、突然、疑念に襲われ始める。彼は、自分の人生を見直し、正義のための戦士となる…。
42. ニコライ・ポミャロフスキー『神学校のスケッチ』(1863年)
ポミャロフスキーは、19世紀ロシアの最も重要なリアリズム作家の一人だが、ロシア本国でも過小評価されている。彼は、民衆の生活について書き、貴族や商人の生活を否定的に描いた。彼はとくに若者の教育の問題に興味をもっていた。『神学校のスケッチ』は、神学校の生徒たちの生活を飾らずに描いた物語だ。作者は、青少年の寮で行われている体罰、残酷な行為、そして厳しい掟を描写している。
46. アントン・チェーホフ。戯曲(『三人姉妹』、『桜の園』、『かもめ』)

チェーホフは、モスクワ芸術座の委嘱で多くの戯曲を書き、初演は、その舞台で成功を収めた。そして、これらの作品は今でも、ロシア内外の多くの劇場のレパートリーに残っている。
『三人姉妹』は、いわゆる進歩的な考えをもつ若い女性たちで、地方の町を離れてモスクワに行き、そこで働き、何か有意義なことをする計画を立てている。しかし、それはすべて机上の空論の域を出ない。
『桜の園』では、零落した女地主が借金を返済するために、素晴らしい桜の園のある家を売らざるを得なくなる。
『かもめ』もまた、ロシア貴族の零落を描いている。働くことができず、たいていはお金もなく、自分の空想の中でしか生きられない人々を描き出す。
*日本語訳:
『チェーホフ全集』(原卓也、神西清、池田健太郎 訳)、中央公論社、1988年。
『チェーホフ全集』(松下裕 訳)、筑摩書房(ちくま文庫)、1993年。
『チェーホフ・コレクション』(工藤正廣、児島宏子、中村喜和 訳)、未知谷、2004年~。
47. マクシム・ゴーリキー『どん底』(1902年)

自らも放浪生活を送ったことのあるプロレタリア作家ゴーリキーが書いた。彼の最も有名な戯曲で、社会の最下層を見事に描き出した。この戯曲を読んでトルストイは驚いて、ゴーリキーに尋ねた。「なぜ君はこんなものを書いたのか?」。トルストイは、大衆がこの劇に興味を示そうとは思わなかった。それは、浮浪者の宿泊所が舞台で、娼婦やアルコール中毒者があけすけに描かれているから。しかし、陰鬱だが真率なこの劇は、モスクワ芸術座の舞台だけでなく、ドイツでも大成功を収めた。
*日本語訳:
・安達紀子訳、群像社、2019年。
・中村白葉訳、岩波文庫、1936年。
48. マクシム・ゴーリキー。中編と短編(『イゼルギリ婆さん』、『オクロフ町』、『幼年時代』、その他)
ゴーリキーの散文は、彼の戯曲と同様に、その内容の「下品さ」と現実生活の暴露において印象的だ。しかし、『イゼルギリ婆さん』のような、本当に魔法のような魅力を放つ物語もある。
トルストイと同様に、ゴーリキーにも自伝的三部作がある。その第一部『幼年時代』は、ニジニ・ノヴゴロドに住む少年の生活と成長についての、実に鮮やかで味わい深い物語だ。母の愛、祖父の暴力、路上の「人生の学校」…。こうした生活を自ら体験したゴーリキーは、ロシアの地方の暮らしを、雰囲気満点に描いている。
*日本語訳:
『二十六人の男と一人の女~ゴーリキー傑作選~』(中村唯史訳)、光文社古典新訳文庫、2019年。
『ゴーリキー短編集』(上田進・横田瑞穂訳)、岩波文庫、1966年。
『幼年時代』(湯浅芳子訳)、岩波文庫、1968年。
49. イワン・ブーニン。中編と短編( 『軽い息』、『村』、『生活の盃』、『サンフランシスコから来た紳士』、『暗い並木道』、その他)
ノーベル作家のイワン・ブーニンは、簡潔でたおやかな散文の比類ない名手だ。彼は、官能的な愛の描写において、ロシアのすべての小説家のなかで最も大胆だった。
「おそらく私たち一人一人は、とくに大切な愛の思い出、あるいはとくに重い愛の罪をもっているだろう」。彼はこう書いている。
*日本語訳:
『生活の盃』(原久一郎訳)、新潮社、1923年。
『村』(中村白葉訳)、本の友社、2006年。
『暗い並木道』(原卓也訳)、国際言語文化振興財団、1998年。
『ブーニン作品集3 たゆたう春 夜』(岩本和久・坂内知子訳)、群像社、2003年。
『ブーニン作品集5 呪われた日々 チェーホフのこと』(佐藤祥子・尾家順子・利府佳名子訳)、群像社、2003年。
『ブーニン作品集1 村 スホドール』(望月哲男・利府佳名子・岩本和久・坂内知子訳)、群像社、2014年。
50. イワン・ブーニン『アルセーニエフの人生』(1929年)
ブーニンによれば、この小説こそが、「ロシアの古典的散文の伝統を、厳密な技法で発展させた」として、彼にノーベル文学賞をもたらしたという。作家コンスタンチン・パウストフスキーは『アルセーニエフの人生』を、世界文学の最も注目すべき現象の一つと呼んだ。
主人公アレクセイ・アルセーニエフは、この書の中で、波乱に満ちた幼少期と青年時代、そして悲劇に終わった初めての熱愛を回想する…。
*日本語訳:『アルセーニエフの青春』(高山旭訳)、河出書房新社、1975年。
51. レオニード・アンドレーエフ。中編と短編(『ワシリー・フィヴェイスキーの一生』、『イスカリオテのユダ』、『赤い笑い』、その他)

アンドレーエフのスタイルは、指紋のようなものだ。他の作家のそれと混同することはあり得ない。彼の繊細というより神経質な文学的世界は、さまざまな思考、言葉、メタファーがぎっしり詰まっている。
『血笑記(赤い笑い)』は、日露戦争たけなわの頃に書かれており、いわゆる「銀の時代」の最も才能のあるロシア作家の一人が、戦争の恐ろしさについて生々しく語っている。
語り手は、砲兵将校で、戦闘の真っ只中にいる。彼は、執拗な「赤い笑い」に悩まされている。これは、無意味な戦争により引き起こされた幻覚で、血みどろの戦いのメタファーになっている。戦争は「恐ろしい死の氷」でもあれば、「赤い空気」でもあり、蘇った死者と「赤い笑い」の幻視であり、さらには自他を狂わす殺人的な狂気だ。
戦争への深い肉体的嫌悪感を呼び起こす反軍国主義の作品があるとすれば、それは確かに『血笑記』だ。
*日本語訳:
『深淵 他』(昇曙夢訳)、創元文庫、1952年。
『悪魔の日記』(小平武訳)、白水社、1972年。
『七死刑囚物語』(小平武訳)、河出書房新社、1975年。
『霧の中』(原卓也訳)「ギャラリー 世界の文学15 ロシアⅢ」、集英社、1990年。
『イスカリオテのユダ』(岡田和也訳)、未知谷、2021年。
『紅の笑み・七人の死刑囚』(徳弘康好訳)、未知谷、2024年。
52. レオニード・アンドレーエフ『人の一生』(1906年)
象徴主義の作家は、新しい形式のドラマを見出そうとした。この戯曲は、規範なしに自由なスタイルで書かれている。人間の誕生から死までの生涯を図式的に示した場面が、いくつか含まれている。
*日本語訳:『人の一生』(森鷗外訳)、春陽堂、1911年。
53. ドミトリー・メレシコフスキー『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(1901年)
メレシコフスキーは、ロシア文学の「銀の時代」における主要人物であり、最初の象徴主義作家の一人だ。小説「レオナルド・ダ・ヴィンチ」は、三部作『キリストとアンチキリスト』の一部をなす。この作品は、巨匠の生涯だけでなく、ルネサンスの全体も描いている。作者は、芸術の力、宗教、そして中世に代わる新しい人道的価値観について論じている。
*日本語訳:『ダ・ヴィンチ物語』(山田美明・松永りえ共訳)、英知出版、2006年。
54. フョードル・ソログープ『小悪魔』(1892~1902年)
題名になっている「小悪魔」は、象徴主義者ソログープのイメージでは、「小さくて灰色ですばしこいネドトゥイコムカ(ソログープの造語)」として現れる。それは、生活を毒し、主人公を狂わせる。主人公は、邪悪で嫉妬深い、地方小都市の教師ペレドーノフだ。彼は、出世を夢見ながら、現実感を失っている。この作品は大いに人気を博し、ソ連時代にも再刊され、何度か映像化されている。
*日本語訳:
『小悪魔』(中村白葉訳)、弘文堂、1940年。
『小悪魔』(青山太郎訳)、新版・白水Uブックス、2021年。
『小悪魔』(斎藤紘一訳)、文芸社、2005年。
55. アレクサンドル・ブローク。詩(『復讐』、『十二』)
ブロークは、「銀の時代」の最も有名かつ重要な詩人の一人だ。繊細な抒情詩人であり象徴主義者でもあった彼は、数多くの素晴らしい詩を残した。また彼は、1917年の革命について暗い考えを抱いたが、当初は歓迎していた。
『十二』(1918年)の中で、詩人は、革命を黙示録として表現し、そこに新たな世界が生まれるとした。詩の主人公である12人の赤軍兵士、新しい信仰の12人の「使徒」は、新しい時代のために、簡単に人命を犠牲にしてしまう。イエス・キリストが、薔薇の「白い冠」をかぶって赤軍兵士たちの前を歩んでいる。このイメージにはさまざまな解釈がある。キリストが革命を祝福し、革命を導くという説もあれば、赤軍兵士がキリストを追い払い、信仰を破壊するというのもある。
*日本語訳:
『ブローク詩集』 (小平武訳)、彌生書房、1979年。
『「十二」の詩人 アレクサンドル・ブローク』(鈴木積訳)、ティプロ出版、2003年。
『薔薇と十字架』 (小平武・鷲巣繁男訳)、林檎屋、1979年(のち平凡社ライブラリー、1995年)。
56. アンドレイ・ベールイ『ペテルブルク』(1913年)

哲学者ニコライ・ベルジャーエフは、アンドレイ・ベールイについてこう述べた。「彼は、存在の奥底までロシア人であり、ロシアのカオスが彼をかき立てている」。そしてベルジャーエフは、この象徴主義の作家をドストエフスキーとゴーゴリの伝統を継ぐ者と呼んだ。
詩人ボリス・パステルナークは、ベールイをマルセル・プルーストと比較し、ジェイムズ・ジョイスを「アンドレイ・ベールイの弟子」と呼んだ。
モダニズム小説『ペテルブルク』には、1703年にピョートル大帝が築いた帝都が描かれている。ある面で抽象的な「旅行小説」だが、作中でこの都市は、1905年の第一次ロシア革命を背景として、それ自体が独立した芸術的イメージとなる。
*日本語訳:川端香男里訳、講談社文芸文庫、1999年。
57. ウラジーミル・マヤコフスキー。詩(『ズボンをはいた雲』、『すばらしい!』、その他)
「世界を声の力で撃ちくだき、ぼくは進む、美男子で二十二才」(『ズボンをはいた雲』小笠原豊樹訳)
1914年にプロレタリア詩人は、『ズボンをはいた雲』のなかで、自分自身についてこう書いている。彼は、最も独創的で常識を超えた、ロシアの詩人の一人だ。文字通り、詩に革命を起こし、過去の古い言語や飾り立てられたサロン詩に対して、まったく新しい形式、韻律、意味を生み出した。
*日本語訳:『ズボンをはいた雲』(小笠原豊樹訳)、土曜社、2014年。
58. オシップ・マンデリシュターム。詩
マンデリシュタームは、20世紀の主要な詩人の一人であり、おそらく最も難解な詩人でもある。彼の詩には、言外の意味や古代への言及に満ちている。しかし彼は、生前は同世代の詩人、とくにアレクサンドル・ブロークの影に隠れていた。
ソ連時代、彼の詩は、長年発禁になっていたが、スターリンを批判した詩『私たちは生きている――足下に祖国を感じずに』の出版により、彼の作品への関心が再び高まった。やはり同世代の伝説的な詩人アンナ・アフマートワは、彼の詩『罪深い表情を上手くつくる、小さな肩をもつ女…」を、20世紀最高の恋愛詩と呼んだ。
*日本語訳:『言葉と文化:ポエジーをめぐって』(斉藤毅訳)、水声社、1999年。
59. アレクセイ・レーミゾフ『池』(1905年)
レーミゾフは、ロシア文化の「銀の時代」における最も著名なモダニストの一人だったが、彼の主な作品は、詩ではなく散文で書かれた。彼の作品は、古典的なジャンルのいかなる枠組みにも当てはまらず、中世文学研究の泰斗、ドミトリー・リハチョフが言う「特別なジャンル・アンサンブル」に属していた。
『池』は、ロシア初の実存主義小説と呼ばれ、その主な焦点はプロットではなく、主人公の意識と世界観の変化にある。レーミゾフはそれを、現実と象徴のバランスを取りながら伝えている。
60. アレクセイ・レーミゾフ『星より高い星』(1928年)
このコレクションに収められている短編は、ロシアの民間伝承の様式で書かれており、ほとんど「チャストゥーシカ」(四行詩の歌詞からなる短い俗謡)のように読める。その中で、作家は世界の創造、キリスト、ユダの裏切りとペテロの否認、聖母の七つの悲しみなど、よく知られた『聖書』の物語を再構成し、それを民衆の言葉で語っている。
61. マリーナ・ツヴェターエワ。詩
ツヴェターエワは、子供の頃から、創造的な雰囲気に囲まれて育った。彼女の父は、美術評論家で、プーシキン美術館の創設者であり、母はピアニストだった。これは、彼女の、悲劇に満ちた困難極まる生活とともに、その詩のイメージと音楽性に、影響を与えずにはおかなかった。
「かくも早くに書かれた私の詩に」
「私の手から――手で作られたのではない…」
「私とすれ違うあなた…」
「私はあなたを愛したことはない」
「私がうれしいのは あなたが私のせいで苦しんでいないこと」
これらは、彼女の必読の詩のうちのごくわずかにすぎない。
*日本語訳:高山旭訳『百年後のあなたへ―マリーナ・ツヴェターエワの叙情詩』、 新読書社、1999年。
62. ウラジーミル・ナボコフ『賜物』(1938年)

ナボコフがロシア語で書いた最後の長編で力作だ。彼の創造の一つの頂点と広くみなされている。哲学的に言えば、メタフィクションだ。ケーキ「ナポレオン」風の重層的な構造をしていて、それぞれの層が深い実存的意味を孕んでいる。
『賜物』のエピグラフには、一見単純極まりない、学校の文法教科書の文が掲げられている。
「樫は木です。鹿は動物です。雀は鳥です。ロシアは祖国です。死は不可避です」
すべて明白だ。我々の人生は、矛盾に満ちた無数のディテールからなっている。ナボコフの時代を超えた『賜物』は、生と死について、そして両者の間が僅か一歩にすぎぬことについて語る。
*日本語訳:
・大津栄一郎訳、白水社 1967年/改訳版・福武文庫(上下)、1992年。
・沼野充義訳、河出書房新社〈世界文学全集 第2期・10巻〉、2010年(ロシア語原典版の訳)。
・『コレクション(4) 賜物/父の蝶』、沼野充義・小西昌隆訳、新潮社、2019年。
63. ウラジーミル・ナボコフ『ディフェンス(原題は「ルージンの防衛」)』(1930年)
これはロシアのチェス選手についての見事な小説だ。彼は、チェスに夢中になりすぎて、徐々に現実とのつながりを失っていく。そして結局、小説全体が一種のチェスのゲームであることが判明する…。ナボコフ自身もチェスを大いに愛好し、自らチェスの問題を作っている。
*日本語訳:
『ディフェンス』(若島正訳)、河出文庫、2022年。
『ルージン・ディフェンス』(杉本一直訳)、新潮社〈ナボコフ・コレクション3〉、2018年。
64. ボリス・ザイツェフ『パッシーの家』(1933年)
ザイツェフは、「銀の時代」の最も著名な作家の一人だが、革命後に亡命し、母国では事実上忘れ去られていた。小説『パッシーの家』では、パリのロシア人亡命者の生活を詳しく描き、異国の地でロシア人が置かれた状況について思索している。
65. イワン・シメリョフ『主の恵みの年』(1927~1948年)
作者は、亡命生活20年の間に、この自伝的な小説を書いた。彼は、ロシアでの生活、商家での幼年時代を思い出し、革命前の生活と現実を詳細に描いている。それらはみな、時とともに消えていった…。
この小説の題名は、『旧約聖書』(イザヤ書61-2)の一節に由来している。そしてシメリョフは、物語全体を教会暦に当てはめ、正教会の祝日や伝統について詳述している。
66. ミハイル・オソルギン『シフツェフ・ヴラージェク』(1928年)
この本の題名は、モスクワの中心部とアルバート通りの路地を知っている人にとっては、おなじみだろう。この年代記風の小説の出来事は、この通りにある家を中心に展開される。そこには、鳥類学の教授とその孫娘が住んでおり、彼女は、少女から大人の女性へと徐々に成長していく。
オソルギンは亡命中にこの小説を書いた。出版後すぐに多くの言語に翻訳され、ヨーロッパとアメリカで大きな成功を収めた。
67. マルク・アルダノフ『自殺』(1956年)
アルダノフは、生涯をかけて革命的な出来事について考察し、フランス革命とナポレオン、そしてボリシェヴィキのクーデターとウラジーミル・レーニンに関して、一連の本を書いた。レーニンは、歴史小説『自殺』の中心人物だ。この革命の指導者について、アルダノフは、かなり独自の見方をしており、ソ連で一般的だったレーニン像に対し、はっきりと異論を提示している。
68. ガイト・ガズダーノフ『クレールとの夕べ』(1929年)
この若い亡命者のデビュー小説は、パリで出版され、ロシア語圏の人々に好評を博した。これは旅行記であり、回想録でもある。そこには、さまざまな出来事、印象、人々が描かれている。主人公は、失われた幼少時代を探し求め、亡くなった近親者や初恋を思い出し、ロシアの内戦について考える。批評家たちは、マルセル・プルーストの影響を指摘したが、作者は、フランスのこのモダニストの作品を読んだことがないと述べている。
*日本語訳:『クレールとの夕べ/アレクサンドル・ヴォルフの亡霊』(望月恒子 訳)、白水社、2022年。
69. ボリス・ポプラフスキー『アポロン・ベゾブラゾフ』、(1930年)
ポプラフスキーは少年時代に、ロシア内戦の末期に家族とともにフランスへ亡命した。彼は、短い生涯の間に(32歳で死去)、象徴主義の詩集や小説集を数冊書いた。
『アポロン・ベゾブラゾフ』は、イメージが豊かで、印象派風のスタイルで書かれている。そこでは、ストーリーよりも、生の感覚が重要だ。作者は、主人公と神、そして死との関係を、最も重要なテーマだと考えている。
70. アンナ・アフマートワ。詩(『ヒーローのいない叙事詩』、『レクイエム』)
彼女は、一世紀にわたる詩的言語を形作った人物の一人だ。彼女の豊かなイメージをともなう深遠な詩は、その後の世代の詩人・作家たちに影響を与え、今でも、何百万人もの愛読者がいる。
彼女の初期の詩は、劇的な恋愛体験を反映していたが、後期の詩は、民衆と国の運命についてうたっている。アフマートワ自身が、夫の処刑、息子の投獄、レニングラード封鎖、そして長年にわたる詩の発禁といった数々の試練を乗り越えなければならなかった。
*日本語訳:
『アフマートヴァ詩集-白い群れ・主の年』(木下晴世訳)、群像社、2003年。
『夕べ ヴェーチェル』(工藤正廣訳)、未知谷、2009年。
『レクイエム』(木下晴世訳)、群像社、2017年。
71. エヴゲーニイ・ザミャーチン『われら』(1920年)

ザミャーチンは、そのディストピアにおいて、個人の完全支配の原則に基づく全体主義国家を見事に描き出した。小説の舞台は、遠い未来の都市だ。そこでは、あらゆるものが同一のスケジュールに従い、強制収容所のように、個人名が文字と数字に置き換えられる(D-503、O-90など)。全世界は単一国家となっており、そこに住む全市民は、昼夜を問わず厳格極まるスケジュールを守る必要があり、恋愛、セックスさえも厳しく規制されている。
ザミャーチンの『われら』には、恐ろしいリアリティーがあるが、皮肉やアレゴリーもある。「我々は歩む。百万の頭をもつ単一の体として。そして我々一人一人の中には、慎ましやかな喜びがある。おそらく、分子、原子、食細胞もそうした喜びをもって生きている」
ザミャーチンの小説は、少なくとも4人の文学的天才、つまりジョージ・オーウェル、カート・ヴォネガット、オルダス・ハクスリー、ウラジーミル・ナボコフの世界観に影響を及ぼした。が、ザミャーチンの生前にロシアで出版されることはなかった。このディストピアの完全版は、1924年に初めて英語で刊行されている。
*日本語訳:
・川端香男里訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1992年。
・小笠原豊樹訳、集英社〈集英社文庫〉、2018年。
・松下隆志訳、光文社古典新訳文庫、2019年。
72. イサーク・バーベリ。『騎兵隊』、『オデッサ物語』

『騎兵隊』は、内戦を描いた、極めてリアルで恐ろしい短編の連作だ。騎兵隊の指揮官セミョン・ブジョーンヌイ(後にソ連邦元帥)や、その他のボリシェヴィキは、この作品に激怒した。しかし、ゴーリキーはバーベリを擁護し、その芸術的価値を高く評価した。この作家の、もう一つの代表作は、名高い『オデッサ物語』だ。「栄光の」ユダヤ人ギャングとその不動の頭目、ベン・クリークなどを描いている。
オデッサ生まれのバーベリは、長い間、板挟み状態に陥っていた。ユダヤ人のルーツとの「つながり」を保とうとしつつ、ある種の「現状維持」を心がけていた。ユーモアのおかげで、バーベリは、登場人物たちにのめり込みすぎずに、一定の距離を置き、なおかつ親密さを維持していた。
*日本語訳:『オデッサ物語』(中村唯史訳)、群像社〈群像社ライブラリー〉、2022年。
『騎兵隊』(木村彰一訳)、中央公論社〈中公文庫〉、1975年。
『騎兵隊』(中村唯史訳)、松籟社、2022年。
73. ボリス・ピリニャーク『消されない月の話』(1926年)
党指導部は、赤軍司令官ガヴリーロフに対し、まったく必要のない手術を強要する。医師たちも、そのことを理解しているが、怖くて反対できないでいる。外科医のメスの下で、その軍人は、クロロホルム中毒で死につつある…。
ソ連の検閲は、ボリシェヴィキの指導者の一人、ミハイル・フルンゼの死を示唆する内容を見て取り、この作品を発禁にした。噂によれば、彼の死は、ヨシフ・スターリン自身がもくろんだという。ピリニャークは序文で、自分の話はフルンゼとは何の関係もないと述べている。「読者はこの作品に、事実や存命の人物を探すべきではない」
だが、ピリニャークは、この大胆な物語のせいで悲劇に遭う。かつて最も多くの出版実績を誇っていたこの作家は、あらゆる場所から解雇され、トロツキストや外国とのつながりがあるとの容疑で逮捕されて、銃殺された。
*日本語訳:『消されない月の話』(米川正夫訳)、世界名作文庫:春陽堂、1932年。
74. ミハイル・ブルガーコフ『白衛軍』(1925年)
ブルガーコフは、キエフ(キーウ)(当時はロシア帝国に含まれていた)で、大家族に生まれた。彼が子供の頃に浸っていたとても暖かい雰囲気は、伝説的な戯曲『トゥルビン家の日々』と壮大な長編『白衛軍』にも反映していた。
『白衛軍』は、レフ・トルストイの衣鉢を継いで書かれた、優れた歴史小説であるだけでなく、ロシア版『フォーサイト家物語』でもある。
『白衛軍』では、1918年末の凄惨な内戦に巻き込まれたロシア知識人の家族とその近親者が描かれる。
*日本語訳:中田甫・浅川彰三訳、群像社、1993年。
75. ミハイル・ブルガーコフ『犬の心臓』(1925年)

新生ソビエト国家の黎明期の1920年代、モスクワの天才的な外科医、プレオブラジェンスキー教授(モデルはブルガーコフの叔父だと考えられている)が、奇想天外な科学実験を行う。彼は、野良犬を捕まえて、人間の脳下垂体と睾丸を移植するのだ。その結果、犬は見る見るうちに人間の姿になる。だが、“彼”の振る舞いはひどく厚かましく、酒を飲んだり、タバコを吸ったり、悪態をついたりするさまは、裏通りの常習的な酔っぱらいと何ら変わらない。しかも、すぐさま教授のモスクワのアパートに、その主として乗り込んでくる。
ソビエト体制とプロレタリアの「新たな権力」に対するこうした風刺は、当然、検閲官には気に入らなかった。この中編が出版されたのは、ようやく1987年のことだ。
日本語訳:
『犬の心臓』 (水野忠夫訳)、河出書房新社、2012年。
『犬の心臓・運命の卵』(増本浩子訳)、新潮文庫、2015年。
76. ミハイル・ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』(1940年)

ブルガーコフのこの傑作長編は、作家の死から26年後の1966年、フルシチョフの「雪解け」の時期にようやく日の目を見た。これは、1930年代にモスクワを訪れた「悪魔」についての叙事詩的な小説だ。
ブルガーコフの形而上学的作品における「悪魔」は、一筋縄ではいかぬ存在で、まさしく「永遠に悪を望み、永遠に善を行うその力の一部」だ。
このヴォランド(悪魔)は、官僚的で非人格的なソビエトという新しい「悪」に対置される。しかし、唯一の救済は、自己犠牲と人間性に満ちたマルガリータによる、魔女風の「愛の飛行」だ。実人生においてもそうであるように。
*日本語訳:
・水野忠夫訳、岩波文庫、2015年。
・法木綾子訳、群像社、2000年。
・中田恭訳、三省堂書店、2016年。
77. ミハイル・ショーロホフ『静かなドン』(1928~1940年)

ソビエト作家、ミハイル・ショーロホフは、22歳のときに『静かなドン』を書き始めた。1965年、彼はこの4巻の大長編でノーベル文学賞を受賞し、20世紀ロシア文学の最重要作品の一つと認められた。第一次世界大戦と内戦の間のドン・コサックの生活についての壮大な歴史絵巻は、汗と血、無恥と残酷さ、苦悩と欲望に溢れている。
*日本語訳:横田瑞穂訳、岩波文庫。
78. イリヤ・イリフとエフゲニー・ペトロフ『十二の椅子』(1927年)
魅力的な詐欺師で山師のオスタップ・ベンデルと、そのナイーヴな相方で元貴族のキーサ・ヴォロビャニノフは、ペトゥホワ夫人のダイヤモンドを探しに出かける。夫人は、革命の混乱のさなか、居間にあった椅子の一つの張地に、ダイヤを縫い込んでいたのだが、椅子はぜんぶで12ある。宝探しの道中、二人組は、「偉大なる計画者」にふさわしい驚天動地の冒険を企てる!
二人組の作家のカルト作品はあっという間に売り切れ、何世代もの読者を1920年代のソ連の雰囲気に浸らせてきた。この作品は、日常生活の風刺や民衆のユーモアの宝庫であり、さらに、ソビエト権力とイデオロギーを密かにまた巧妙に皮肉っている。
*日本語訳:江川卓訳、世界ユーモア文庫〈2〉、1977年。
79. ミハイル・ゾーシチェンコ。短編(『バーニャ(蒸し風呂)』、『貴族の女』、『結婚式でのできごと』、その他)
稀有なユーモアのセンスを備えていたゾーシチェンコは、作家の創作を鉛白の生産にたとえた――その有害さの点で。ゴーゴリの伝統をソビエト文学において受け継いだ作家だが、外国ではほとんど知られていない。彼は、1920年代に、最も優れた作品の大半を書き、革命の理想がいかにして小ブルジョア的価値観に取って代わられつつあるかを示した。ゾーシチェンコの短編は、小噺風であることが多く、簡単な言葉で書かれており、逆説的で、いつもすごく面白い。
*日本語訳:『俺の職歴: ゾーシチェンコ作品集』(ロシア文学翻訳グループクーチカ)、群像社ライブラリー 28、2012年。
80. ダニイル・ハルムス『老婆』(1939年)
生前のハルムスは、「大人のために書いた」作家としては人気がなかった。彼は主に、子供向けの詩人として知られていた。
ハルムスは、ロシア文学における不条理とシュルレアリスムの伝統の創始者の一人だった。そのため、彼の主要な作品は、文学愛好家の小さなサークルには知られていたものの、ソ連では刊行できなかった。
ハルムスの中編『老婆』は、彼の散文の頂点であり、ロシア文学における最も謎めいた神秘的な作品の一つだ。カミュやサルトルなど、欧州の実存主義の流れに呼応している面がある。
*日本語訳:『ハルムスの世界』 増本浩子、ヴァレリー・グレチュコ訳、ヴィレッジブックス 2010。
81. アンドレイ・プラトーノフ『チェヴェングール』(1928年)
ノーベル文学賞を受賞した詩人ヨシフ・ブロツキーは、この作家をプルースト、カフカ、ベケットに匹敵すると考えた。そのプラトーノフは、ソ連の社会主義社会建設というユートピア的な計画を犀利に描き出し、そのイデオロギーの官僚主義的な不条理を微細に暴き出した。
『チェヴェングール』は、プラトーノフの唯一完成した長編小説。ネップ(新経済政策)期のソ連における生活の楽屋裏を暴露する。題名になっているチェヴェングールは共産主義の理想郷で、共産主義が猛烈なペースで導入されたものの、その結果は破局だった。
スターリンによる集団化を目の当たりにしたプラトーノフは、それを悪魔的と言ってもよいほど犀利に描き出している。
この小説は、出版される予定だったが、ソ連の検閲官は、イデオロギー上の理由で、土壇場でそれを撤回した。検閲官は、この作品が体制を動揺させ、社会主義建設の思想を脅かすとした。プラトーノフは、自分は小説を「異なる意図」で書いたと主張したが、誰も聞く耳をもたなかった。ペレストロイカ期の1988年にいたるまで、この作品は完全な形で出版されることはなかった。
*日本語訳:工藤順と石井優貴の共訳で、2022年6月に作品社より刊行。
82. アンドレイ・プラトーノフ『土台穴』(1930年)

『土台穴』は、カフカを思わせる暗く難解な小説であり、一見すると、ソビエト共産主義の利点を描いているようにも読める。一団の人間が、あるところで「永遠に快適な生活を約束する共同住宅」の土台となる穴を掘り続けている。すべての人がいつか幸せに暮らせるようにと…。
だがプラトーノフは、労働者、技師、農民、官僚を描きつつ、飢餓と死を浮かび上がらせる。彼らは、あらゆる善なる感情から「解放」されて、昼も夜も終わりなき無意味な建設を続ける。
1929~1930年に書かれた『土台穴』は、スターリン主義と抑圧的な官僚制度に対する辛辣な風刺だ。それらは、希望、信仰、そして人間性を破壊する。しかし彼は、人間的な感覚と感情や欠いた集団主義の正体を暴露しており、その点で、ジョージ・オーウェルの『1984年』を思い起こさせる。
*日本語訳:亀山郁夫訳、国書刊行会〈文学の冒険〉、1997年。
83. アレクサンドル・トヴァルドフスキー『ワシリー・チョールキン』(1942~1945年)
「兵士についての本」――大祖国戦争(独ソ戦)に関する主要な作品の一つである彼の詩に、トヴァルドフスキー自身が、こうした副題を付けた。各章は、主人公の最前線での生活における1つの出来事だ。この主人公は、戦闘においても明るく陽気で、恐れを知らない兵士の集合的なイメージである。
この詩は、大祖国戦争に関する真に「国民的な作品」となり、広く引用されるようになった。詩は、パステルナークからブーニンに至るまで、他の作家からも歓迎された。
84. ボリス・パステルナーク『ドクトル・ジバゴ』(1945~1955年)
第一次世界大戦は、ロシアにとってまさに大惨事となり、一世代まるごとを、そのさまざまな夢とともに葬り去った。
モダニズムの名作『ドクトル・ジバゴ』のなかで、パステルナークは、壊滅的な戦争、革命の破壊的な力、希望の崩壊、そして人間精神の強さを壮大なスケールで描いた。
『ドクトル・ジバゴ』はおそらく、欧米で最も有名なロシアの小説だろう。それは、「死のように強い」、比類のない愛について語っている。
パステルナークは、この作品に10年間取り組み、1958年にノーベル文学賞授与が決まったが、ソ連当局の圧力で辞退を強いられた。
*日本語訳
・江川卓訳『ドクトル・ジバゴ 上・下』(時事通信社、1980年/新潮文庫、1989年)。
・工藤正廣訳『ドクトル・ジヴァゴ』(未知谷、2013年)。
85. ヴィクトル・ネクラーソフ『スターリングラードの塹壕にて』(1946年)
戦後まもなく出版された、スターリングラードの英雄的防衛に関する物語。これを読んで、人々は、「中尉の小説」について語り始めた(作者自身、スターリングラード攻防戦に参加している)。この小説は、戦争について、粉飾することなく「塹壕の真実」を語る。雑誌『ズナーミャ(旗)』に掲載されたこの作品は、ヨシフ・スターリンも読み、作者は後にスターリン賞を受賞した。
86. ワシリー・グロスマン『人生と運命』(1959年)

「すべての人は、戦争で息子を失った母親に対して罪がある。そして、すべての人が、人類の歴史を通して、そうした母親に対し、空しい自己弁護を試みてきた」。この小説の作者はこう書いている。
小説の事件は、1942年9月~1943年2月に、スターリングラード攻防戦を背景に起きる。『人生と運命』は、戦争のさまざまな惨禍、苦しみについての陰鬱で絶望的な小説であり、トンネルの終わりに光は見えない。
*日本語訳:齋藤 紘一訳、みすず書房、2012年
87. ヴァルラーム・シャラーモフ『コルィマ物語』(1954~1973年)
『コルィマ物語』は、強制収容所を描いた他の小説とは非常に違う。何よりもソルジェニーツィンの『収容所群島』とは異なり、シャラーモフはその彼と手紙で激しく論争している。
シャラーモフは、主として人間について語っている。すなわち、強制収容所の条件の下で魂と肉体に何が起こり得るかについて。
作者によれば、強制収容所の目的は、人を押しつぶし、個人とその人格を破壊し、大抵の場合、人を物理的に破壊することだ。
強制収容所で19年間過ごした後、シャラーモフは、絶望的に健康を損なうが、歴史上最も冷酷な弾圧のシステムの一つについて、残酷で真実で、恐るべき証言を人類に残した。
*日本語訳:高木美菜子訳『極北コルイマ物語』、朝日新聞社、1999年。
88. コンスタンチン・パウストフスキー。中編と短編
パウストフスキーの叙情的な散文は、ノーベル文学賞候補となったが、結局、受賞することはなかった。彼の最も有名な作品の一つ、『黄金の薔薇』(1955年)は、創造性と執筆の本質をテーマにしている。
ちなみに、第一次世界大戦と革命を描いた自伝的長編小説『生涯の物語』を読んで、有名な女優マレーネ・ディートリヒは、パウストフスキーの愛読者となり、1964年にモスクワを訪れた際に、公衆の面前で、彼の前に跪き、世界中で波紋を呼んだ。
89. エヴゲニー・シュヴァルツ『ありふれた奇跡』(1954年)
魔法使いが気まぐれで、一匹のクマを青年に変身させる。青年は、王女に恋をする。しかし、もし彼が彼女とキスをすると、彼は、再び獣に戻らなければならない…。
シュヴァルツの戯曲の多くでは、隠喩の背後に反全体主義のメッセージが読み取れるが、この作品(およびその映画化)は、ハッピーエンドの美しいおとぎ話という印象を与える。
90. ストルガツキー兄弟(兄アルカジーと弟ボリスの共作)『月曜日は土曜日に始まる』(1964年)
ストルガツキー兄弟は、ソ連の代表的なSF作家であり、数世代のアイドルだった。兄弟は、ソ連のユートピアが将来どのようなものになるかを考えた。このユーモラスな物語では、レニングラードのプログラマーが、北部のある研究所の博物館にやって来るのだが、そこでは本当の魔法が行われていることを発見する。
ストルガツキー兄弟は、ソ連の研究機関を揶揄しながら、ロシア民話のキャラクターを科学的現実に持ち込む。ちなみに、この小説に基づいて、コンスタンチン・ブロムベルグ監督の映画『チャロデイ ― 魔法使いたち ―』(1982年)が製作された。
*日本語訳:『月曜日は土曜日に始まる:若い科学者のための物語』(深見弾訳)、群像社、1989年。
91. アレクサンドル・ヴァムピーロフ『鴨猟』(1967年)
ソ連の知識人ジーロフは、人生に疲れ、精神的な危機のなかにある。友人たちは冗談に、新築祝いに葬儀用の花輪を贈った。ジーロフはそれに応えて、皆を葬儀に招待し、人生の思い出に浸る…。
奇跡的に検閲を免れたこの戯曲は、1970年代以来、ロシアの劇場の舞台から消えていない。批評家たちは、ジーロフをドストエフスキーの登場人物たちや、レールモントフの『現代の英雄』のグリゴリー・ペチョーリンと比較する。
*日本語訳:『長男 鴨猟』(宮沢 俊一・五月女道子訳)、群像社、1989年。
92. ワシリー・シュクシン。短編(『変わり者』、『申し訳ございません、マダム』、『やっつけた』、『義理の息子がトラック一台分の薪を盗んだ』、その他)
シベリア出身のシュクシンは、脚本家と映画監督になるために、モスクワの全ソ国立映画大学で学び、そのいずれにもなった。さらに、ソ連最高の人気作家の一人となる。彼は、田舎暮らしを題材にした短編小説の名手だ。シュクシンは、村の生活と農民を非常に多面的に、そして大きな愛情をもって描いている。
93. ヴィクトル・アスターフィエフ『呪われた者たちと殺された者たち』(1990~1994年)
アスターフィエフの作品の多くは、大祖国戦争(独ソ戦)に焦点を当てており、この小説も例外ではない。この作品には、著者の個人的な思い出、戦前の生活、軍隊に入隊する準備、軍隊における人間関係などが描かれている。彼は、戦いを詳細に描写し、愛国心、宗教、道徳について哲学的に考察する。
94. ワレンチン・ラスプーチン『マチョーラとの別れ』(1976年)
ソ連の、いわゆる「農村派作家」の好例。ドストエフスキーとブーニンを愛読する、独自のリアリズム作家による作品だ。
シベリアのマチョーラ村は、水力発電所の建設で、まさに水没しようとしており、住民は早急に移住しなければならない。地元の人々は、古い生活様式と進歩との相克を悲劇的に体感している。誰もが故郷を離れる覚悟があるわけではなく、とくに老人たちには、こうした変化が辛い…。
*日本語訳:『マチョーラとの別れ』(安岡治子訳)、群像社、1994年。
95. セルゲイ・ドヴラートフ。短編
ドヴラートフのスタイルは、閉塞感を漂わせる自伝的風刺であり、それは、彼の短編にとくに顕著だ。『妥協』のなかで彼は、ソビエト体制と全体主義時代のジャーナリストの仕事の両方を痛烈に嘲笑している。
『サンクチュアリ』では、主人公は、プーシキンへの人々の崇拝を笑いつつ、酒を飲み、私生活の問題に悩んでいる。
『かばん』は、小さなスーツケース一つだけを持って、ソ連からアメリカへの移住を計画する主人公の物語。スーツケースの中の一つ一つの品が、過去の人生を思い出させる。
*日本語訳:
『わが家の人びと』 沼野充義訳、成文社、1997年。
『かばん』 ペトロフ=守屋愛訳、成文社、2000年。
96. アレクサンドル・ソルジェニーツィン『イワン・デニーソヴィチの一日』(1959年)
この中編は、1962年に雑誌『ノーヴイ・ミール(新世界)』に掲載され、強制収容所に関するソ連初の出版物となった。この作品は、ソ連社会だけでなく、世界中でセンセーションを巻き起こした。
主人公の農民が、過去を振り返る。彼は、ドイツ軍と戦い、捕らえられ、脱走するが、すぐさま収容所に送られる。
この作品には、収容所での厳しい生活が詳細に描かれているが、ソルジェニーツィンはそれを直接知っていた。彼自身も、収容所で8年間を過ごしたからだ。
*日本語訳:『イワン・デニーソヴィチの一日』(木村浩訳)、新潮文庫、1963年。
97. アレクサンドル・ソルジェニーツィン『収容所群島』(1958~68年)

ソ連の強制収容所(グラグ)に関する世界で最も有名な本だ。ソルジェニーツィンが10年間かけて書いた。この作品は、7部からなっており、ソ連における弾圧、粛清のシステムがいかに築かれたか、その歴史と実際について語っている(グラグ «ГУЛАГ» は、「強制労働行政機関」の略語だ)。
この作品は、さまざまな収容所で約8年間過ごした作者の個人的な印象と、彼が話をした250人以上の囚人の話に基づいている。
第1巻が1973年12月にパリで出版された直後に、ソルジェニーツィンはソ連から追放され、彼のそれ以前の作品はすべて破棄された。
*日本語訳:『収容所群島 1918-1956 文学的考察』各・全6巻、木村浩訳。
98. アンドレイ・ビートフ『プーシキン館』(1964~1971)
ロシアの全体が、「縮れ毛の住人」(*プーシキンのこと)のいないプーシキン館のようなものだ――。ビートフは、自作の題名をこのように説明している。これは文学、レニングラード(現サンクトペテルブルク)、スターリンの粛清、そして「雪解け」についてのポストモダニズム小説だ。主人公は、「プーシキン館」としてよく知られているロシア文学研究所の言語学者である。この小説は、最初、外国で出版され、ソ連では、地下出版で広まった。
99. エヴゲニー・エフトゥシェンコ。詩
彼の詩句は、生きたロシア語に浸透し、慣用句となった。その点で、数少ない詩人の一人だ。たとえば、
「ロシアの詩人は単なる詩人ではない」
「ロシア人が戦争を欲しているだろうか?」
「私の身に起きていることと言えば――私の古い友人は私に会いに来ない」(*孤独をうたっている)
エフトゥシェンコは、母国だけでなく外国でもスタジアムを満員にした(外国の詩は、これほど人気を博すことはめったにない)。非常なカリスマ性と芸術性を持ち合わせていた彼は、大勢の観客を簡単に「魅了」することができた。
彼の詩『バービー・ヤール』と『ブラーツク水力発電所』は、ソ連時代には、詩とは縁遠い人々にも親しまれていた。そして、数十の詩に曲が付けられ、映画や舞台で用いられた。
*日本語訳:『エフトウシェンコ詩集』(草鹿外吉編訳)、飯塚書店、1973年。
100. ヨシフ・ブロツキー。詩
ブロツキーは、学校で7年間学んだだけだが、非常な博学で、鋭敏な言語感覚をもっていた。彼の詩は、根本的に新しい言語が特長だ。
「ヨシフ・ブロツキーの悲痛な形而上学をパラフレーズすることは不可能だ」。批評家サムイル・ルリエは書いている。この詩人の創作のライトモチーフは、自由と道徳だった。彼は、善良さを最も重んじた。
しかし、ソ連の基準からすれば、ブロツキーの詩のスタイルとテーマは、一般読者には理解不能だった。彼は、迫害され、「寄生」の罪で告発されて、国内流刑となった。1987年、すでに亡命を余儀なくされていたブロツキーは、「思想の明晰さと詩的な強さで際立つ、包括的な文学活動」により、ノーベル文学賞を受賞した。
*日本語訳:
『大理石』(沼野充義訳)、白水社、1991年。
『ヴェネツィア・水の迷宮の夢』(金関寿夫訳)、集英社、1996年。
『ローマ悲歌』(たなかあきみつ訳)、群像社、1999年。