GW2RU
GW2RU

プーシキン館:ロシア文学が息づく場所

Kira Lisitskaya (Photo: A.Savin, Wikipedia; Public domain; Yuri Belinsky/TASS)
サンクトペテルブルクの中心部には、ロシア文学の歴史に文字通り触れることができるユニークな場所がある。ここには、詩人アレクサンドル・プーシキンその他、ロシアの何百人もの偉大な作家たちの貴重な原稿が、大切に保存されている。

 温度は18度、湿度は55%。日光を遮断するために窓のない部屋。そして、中性の pH の段ボールで作られたフォルダーカバー…。

 このような特別な環境下で、偉大なロシア文学の至宝が、大切に保存されている。ロシア科学アカデミー・ロシア文学研究所(通称はプーシキン館)は、設立以来120年にわたり、70万点を超える原稿、950名を超える作家、批評家、文学研究者のコレクション、19~20世紀の雑誌のアーカイブ、画家、音楽家、俳優、教育者、教会関係者の自筆原稿やアーカイブ資料を収蔵してきた。

サンクトペテルブルクの中心部にあるプーシキン館
A.Savin, Wikipedia

 「プーシキン館の主な課題は、口承文芸(民間伝承)と古代ロシア文学から現代に至るまで、ロシア文学の記念碑的な作品を収集、保管、研究、出版すること」。写本部門のリュボーフィ・ゲラシコ学術書記は語る。「プーシキン館は、活動の一例として、ロシアの文豪たちの著作の完全な全集を出版してきたことで広く認知された。例えば、プーシキン、レールモントフ、ゴーゴリ、ゴンチャロフ、ドストエフスキー、ネクラーソフ、ツルゲーネフなどだ」

 これらは、プーシキン館の他の業績と同じく、ウェブサイトで公開されている

設立のいきさつ

 この学術機関の正式名称は、ロシア科学アカデミー・ロシア文学研究所だ。しかし、この研究所の歴史は、プーシキンとその遺産から始まったため、最初の名称「プーシキン館」で呼ばれることの方が多い。

プーシキンの自筆原稿
Yuri Belinsky / TASS

 1899年、サンクトペテルブルクのロシア科学アカデミーの建物で、プーシキン生誕100周年を記念した展覧会が開かれた。その最も重要な部分は、自筆原稿だった。

 6年後、科学アカデミーは、プーシキンの遺産を収集するプーシキン館を創設することを決定した。1905年12月15日は、その創立記念日として祝われる。

 プーシキンは、誇張抜きで、ロシア文学を代表する人物だ。それは、彼が多くの優れた詩や散文を書き、さまざまなテーマやジャンルで成功を収めたからだけではない。実質的に近現代のロシア語の文章語を創り出したのが、まさにプーシキンだったからだ。彼は、卑俗な口語体と高尚な文体を組み合わせ、それを文章語に取り入れ、統合した。 

 1906年、プーシキン館は、最初のアーカイブ、すなわちプーシキンの個人蔵書3500冊を受け取った。それは詩人の孫から、国費で購入された。

プーシキンの記念碑
Avi72 (CC BY-SA 3.0)

 20世紀初め、プーシキンの自筆原稿などオリジナル資料は、いくつかの美術館や図書館に散在しており、大きなコレクションも、個人が所蔵していた。そこで、プーシキン館は、詩人にかかわる資料を少しずつ集めていった。革命後は、資料を文字通り救い出さなければならなかった。

 現在、プーシキンの既知の原稿の98% が、プーシキン館に保管されている。それらは、1777個の保管場所に収められ、計1万4500ページに及ぶ。詩と散文の草稿および完成稿、手紙、日記、絵…。オリジナル資料は、主にテキスト校訂の専門家による研究作業のために、例外的な場合にのみ、閲覧に供される。それ以外の研究には、コピーが用意されており、全国の博物館その他の施設に提供されている。

プーシキン館は他に何を保管しているか 

 革命が起きた1917には、プーシキン館はすでに、大量の原稿、および博物館のコレクションを持っていた。革命後は、閉鎖された博物館や施設からのアーカイブ、原稿、さらにはロシアから亡命した所有者の「家宝」などで、資料が急増した。

 プーシキン館のスタッフは、地方へ出張した。そこでは、貴重な国民文化の記念碑が、破壊の危険にさらされていた。そうした文化財は主に、廃墟となった貴族の邸宅に集中していたからだ。

Yuri Belinsky / TASS

 現在、ロシアの古典的著作の写本やコレクションの大部分が、まさにここに保管されている。またここには、重要な手書きの著作と初期の印刷物も所蔵されている。そのなかには、ロシア北部で発見された古儀式派の写本も含まれる。例えば、長老エピファニイと長司祭アヴァクームの自筆のユニークなコレクションがある。後者は、見事な『自伝』を著しており、ロシア最初の作家とも言えよう。

 プーシキン館の誇る資料のなかには、数万点の音声録音からなる音声アーカイブもある。それらは、1890年代から、ロシアの研究者による民俗学・言語学の調査で作成された。

 プーシキン館は、1927年以来、旧サンクトペテルブルク海上税関の建物内にある。当初、書庫は、厚さ1.5㍍の壁、鍛造ドア、ボルトで固定されたシャッターを備えた保管室にあった。そして、1999年のプーシキン生誕200周年を記念して、18世紀の建物を基礎として、写本専用の別棟が建てられた。

Yuri Belinsky / TASS

 1階にはユニークな図書館があり、そこには、有名な作家、学者、愛書家の蔵書だった書籍が収められている。広い階段を2階に登ると、そこは文学博物館だ。作家たちに関係する物品、肖像画、その他の品が保管されている。

 これらすべてが、つまり原稿、書籍、博物館の展示品が一体となってプーシキン館を構成している。その規約には、「ロシアの最大の詩人の記憶に捧げられたロシア文学の殿堂」と呼ばれている。

本物と偽物

 プーシキン館の職員は、写本の安全性を見守るだけでなく、文学作品や作家の伝記にかかわるあらゆる事柄を詳細に研究している。まさにここで、プーシキンと古代ロシア文学の研究が誕生した。

 プーシキン館の研究者は、原稿を研究し、作品の創作過程を再現している。インクの色を比較することで、著者が加えた修正がいつ行われたかを特定することもできる。

プーシキン館の文学博物館
A.Savin, Wikipedia

 プーシキン館の創設以来、あっと驚くような事件が、たまに起きている。巧妙な贋作を本物だと主張し、経験豊かな専門家さえ騙したケースだ。

 プーシキン原稿コレクションの管理者の一人、ウラジーミル・トゥルチャネンコの指摘するところでは、意図的な偽造と、所有者の誤認とは、しっかり区別するのが重要である、なぜなら、所有者の誤認も、誤った結論につながり得るからだ。トゥルチャネンコは、「プーシキン」と署名されたフランス語の手紙で生じた、次のような「事件」を振り返る。

 「何人かの権威ある学者は(プーシキンのテキスト校訂の専門家ではないことに注意)、この手紙がプーシキンの自筆だと結論した」

 結局、その手紙は購入され、コレクションに収められた。

 ところが、トゥルチャネンコによると、プーシキン館の最初の管理者となった研究者、レフ・モザレフスキーは、この手紙がアレクサンドル・セルゲーエヴィチ(詩人)のものではなく、フリーメーソンで外交官のムーシン・プーシキン・ブリュース伯爵のものだったことを証明した。

 「そのため、この手紙は、詩人プーシキンの自筆リストから外され、偽プーシキン・コレクションに収められた」。彼はこう付け加える。

 しかし、プーシキン資料は、意図的な偽造も免れなかった。管理者らによると、20世紀半ばに大きな事件が起きた。プーシキン館が、モスクワの年金受給者アントニン・ラメンスキーから『アイヴァンホー』を入手したのだが、そこに、プーシキンの手書きという触れ込みの、献辞や絵などの書き込みがあった。

 何人かの尊敬されていた専門家たちが、この発見が本物だと確認した。そのため、この本は、ほぼ30年間、詩人の自筆本のなかに保管されていた。しかし、この贋作は、結局、プーシキン館の現管理者で研究者、タチアナ・クラスノボロジコによって暴露された

A.Savin, Wikipedia

 プーシキン館の職員のもう一つの重要な仕事は、テキストの校訂、その創作過程の歴史的・文学的解説だ。コレクションの規模からして、当然、こうした作業は、今日も続けられている。そのおかげで、古典的作品群のテキストのなかに、これまで知られていなかった暗示や隠された意味が見つかることがある。

 という次第で、プーシキン館は、単なるアーカイブではない。この場所は、ロシア文学の真髄とその貴重な歴史を保管し、新しい世代の研究者や読者の研究のために公開されている。

*ロシア・ナビは、この記事の作成にご協力いただいたプーシキン館に感謝いたします。