ロシアの代表的新年映画を知る6項目
50年にもわたり、視聴者は偶然出会った2人の運命をテレビで見守っている。バックには「列車が動き、プラットフォームだけ残る」、「白いハンカチ」の歌が流れ、「魚の煮凝り」のフレーズが繰り返される。何年も続く同じ光景だが、やはり毎年12月31日には、私達はテレビを点けて、すっかりお馴染みの場面を見るのだ…
1.映画はお蔵入り寸前だった
エリダール・リャザーノフ監督の回想によると、脚本が出来上がったきっかけは、どこかで小耳に挟んだいたずらの話だった。12月31日にサウナに行った男が酒を呑み、その足で結婚1周年を迎えた友人のお祝いに行くが、いたずら好きの誰かが、ふらふらの彼を長距離鉄道のキエフ駅に連れて行ってしまったという話である。しかし、泥酔した主人公が他人の家でめちゃくちゃをやるドタバタ劇という脚本に、国家映画委員会はひどく難色を示した。ソ連市民たるもの、そのような振る舞いがあってはならないのである。しかしテレビ局ではこの脚本を受け入れ、2部構成の映画の制作を許可した。
2.人気俳優は起用されず
メインキャストの起用は難航した。リャザーノフは主人公ジェーニャ・ルカーシン役に、当時人気のアンドレイ・ミローノフ、オレグ・ダーリ、スタニスラフ・リュブシン、ピョートル・ヴェリヤミノフらを考えたが、結局選ばれたのはアンドレイ・ミャグコフだった。ソ連を代表する女優リュドミラ・グルチェンコとスヴェトラーナ・ネモリャエワがヒロインのナージャ・シェヴェリョワ役を希望したが、リャザーノフ監督は、映画『Anatomia miłości』を見てポーランドのバーバラ・ブリルスカを選んだ。
3.当時のモスクワに、「第3建設者通り」は無かった
作中の重要な要素が、規格に基づいて建設された住宅がみな同じように見えることだ。酔っぱらった男が、レニングラードの女性教師の家を、自分が母と同居しているモスクワの家と簡単に誤認するほどそっくりなのだ。だが、実は映画制作当時のモスクワに、物語の舞台となる「第3建設者通り」は無かった。正確には、かつては存在していたが、1963年にマリヤ・ウリヤノワ通りに改名されていたのである。一方、「規格住宅」として撮影されたのは、ヴェルナツコヴォ通りの2棟のパネル構造住宅のファサードだった。通りに同じ構造の建物が3棟あったが、これらは5つの玄関口を持つ16階建てマンションで、独自設計に基づいて実験的な工法と素材で建設されたものだった。また、内装と備品を備えた主だったタイプの部屋がテストされていた。従って、実際には「規格住宅」には程遠いものだったのである。
4.付近の住人が協力
レニングラードのシーンが撮影されたヴェルナツコヴォ通りの住人たちは、思いがけず映画作りに参加することになった。『運命の皮肉...』は、3か月という短期間で撮影されたが、映像内で年越しの雰囲気を維持するため、周辺住民は撮影中、家の灯りを消さないように依頼された。確かに、年越しの夜に家々の灯りが消えて暗い窓が並ぶ光景では、あまりに違和感がある。
5.アーラ・プガチョワが歌う
物語を動かす要素の1つが、ミカエル・タリヴェルディエフが手掛けたサウンドトラックである。エフゲニー・エフトゥシェンコ、ベーラ・アフマドゥーリナ、ボリス・パステルナーク、マリーナ・ツヴェターエワ他の詩人たちの詞による8つの声楽曲も使われている。歌うのは、歌姫アーラ・プガチョワ、そしてバルド(歌う詩人)のセルゲイ・ニキーチン。当初、2人の名前はスタッフロールに表示されておらず、視聴者はミャグコフとブリルスカが実際に歌っていると思い込んでいた。
6.有名なフレーズの数々
この映画が生んだアフォリズムは、すっかりロシア語に定着した。「あなたに伯母がいないなら…」と歌い出して少し待てば、誰かが「失うことも無い」と続けてくれるだろう。「サイテーですな…この魚の煮凝り」というフレーズは、ありとあらゆる「サイテー」なものの描写に転用されるようになった。