スポーツをこよなく愛したロシアの作家6人

これらの作家たちは、最良の一節が生まれるのは書き物机に向かっているときだけではなく、スポーツに打ち込んでいる最中でもあることを知っていた。

1.レフ・トルストイ(1828~1910年)

Legion Media
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 これほどスポーツ好きの作家は、なかなか思い浮かばない。彼は文字どおり、あらゆる身体活動を愛していた。馬に乗れば見事な腕前を見せ、チェスやゴロドキ(*ロシアの伝統的なスポーツ)に親しみ、長い距離を徒歩で踏破した。モスクワからヤースナヤ・ポリャーナまで、約200キロメートルの徒歩旅行を何度か成し遂げた。

 トルストイは毎朝、体操から一日を始めていた。「スポーツ着姿になった彼が、鞍馬の背に据えられた、革で覆われ羊毛を詰めた円錐に触れまいとして、どれほど夢中になって鞍馬を跳び越えようとしていたか、それは見ていなければわからない」。詩人アファナシー・フェートは回想している。ヤースナヤ・ポリャーナでは、彼は鉄棒、空中ブランコ、つり輪を備えた、いわば小さな運動場のようなものまで設けていた。しかも、自分の子どもたちをもその訓練に参加させていた。

 トルストイは、モスクワで最初期の自転車愛好家の一人となったとき、すでに67歳だった。彼はほどなく乗り方を習得し、マネージで行われる自転車走行の催しの常連となった。さらには、市内の街路を自転車で走行することを許可する免許まで取得していた。 

2.イワン・ツルゲーネフ(1818~1883年)

パブリックドメイン
パブリックドメイン

 「近所の人たちと、あるいはひとりでもチェスを指し、本を読んで棋譜を研究している」。ツルゲーネフにとって、スポーツにおける情熱はただ一つ、しかもそれは彼の心を完全に捉えるものだった。彼は少しでも暇ができると、盤に向かって時を過ごしていた。

 かつて彼は、当時ヨーロッパ屈指の強豪棋士の一人であったダニエル・ハルヴィッツに、対局を申し込む手紙まで送ったことがある。もっとも、返事はついに来なかった。だが、その代わりにトルストイとはしばしばチェスを指していた。「チェスをした。彼が二局勝ち、私は一局勝った。それでも私は不機嫌だった」。『戦争と平和』の作者は、妹にこう書き送っている。

3.アレクサンドル・クプリーン(1870~1938年)

サンクトペテルブルク中央国家フィルム・写真・音声文書アーカイブ/russiainphoto.ru
サンクトペテルブルク中央国家フィルム・写真・音声文書アーカイブ/russiainphoto.ru

 「では、我が国の作家たちはどうだろう。彼らはどんなふうに見えるだろうか。まっすぐな姿勢を保ち、筋肉がよく発達し、動作が正確で、歩き方も整っている人など、彼らの中にはめったに見いだせない。たいていは猫背で、体つきもゆがみ、歩くときには上半身全体をくねらせ、足を引きずるように、あるいはだらしなく運ぶ――見るに堪えない」。クプリーンはこう書いている。彼はこの問題の解決をスポーツの中に見いだした。クプリーンはスポーツを、「大きく偉大な力」と呼び、それが「膨大な喜びを与え、身体の発達という点でも疑いようのない大きな益をもたらす」と考えていた。

 彼は重量挙げに励み、旅行用の鞄の中にも一対のダンベルを入れて持ち歩いていた。さらにあるときには、かなりふくよかな婦人であった自分の母親を重り代わりに持ち上げてみせ、甥を驚嘆させたこともある。他のあらゆるスポーツの中でも、彼がとりわけ好んだのは水泳であった。ロシア人、とりわけ大きな水辺のそばに暮らすペテルブルクの人々にとって、水泳は欠かすことのできないスポーツだと彼は考えていた。 

4.アンナ・アフマートワ(1889~1966年)

Mos.ru (CC BY 4.0)
Mos.ru (CC BY 4.0)

 「…私は海へ飛び込み、そのまま2時間ほど泳いでいった。戻ってくると、濡れた身体の上から服を着た――その服は、塩気で糊をきかせたように、身体の上でごわごわと突っ張っていた…。そして私は、髪を振り乱し、ずぶ濡れのままで家へ駆け戻ったのだった」。

 この女流詩人が水泳に夢中になったのは、まことに時機の悪いことに、まだそれが男性の特権とみなされていた時代だった。だが彼女は活路を見いだした。そんなことは気にしないと、独り決めしてしまったのである。そして、本物の人魚のように、水の世界へと身を投じていた。あるとき、ヘルソネスへスイカを買いに舟で出かけた際、同乗していた子どもたちと口論になると、アフマートワは議論を打ち切るかのように、ただそのまま舟の外へ飛び込んでしまった。

5.ウラジーミル・ナボコフ(1899~1977年)

Legion Media
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 「私はすぐれたスポーツマンだった」と、この作家は自ら認めている。実際そのとおりで、ナボコフは幼いころからフェンシングとボクシングを学んでおり、しかもその稽古は図書室で行われていた。そこでは「学問とスポーツとが心地よく結びついていた。製本の革と、ボクシング・グローブの革とが」。

 作家のもう一つの情熱はサッカーで、ケンブリッジ在学中には学生チームのゴールキーパーにまでなっている。彼を見つけるのは、たとえば図書室でよりも、むしろグラウンドの上のほうがずっと容易だった。

 サンクトペテルブルク近郊のロジェストヴェノの邸宅には、ナボコフ家のテニスコートがあり、ウラジーミルはそこでローンテニス(*硬式テニスの正式名称)をしていた。そして、ずっと後の1920年代になると、その経験が彼の生活を支える助けともなった。ベルリンで彼は英語とドイツ語を教える一方、当地の実業家たちの娘たちにテニスの個人レッスンもしていた。

6.ウラジーミル・マヤコフスキー(1893~1930年)

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 たとえ確かなことを知らなくても、この詩人がボクシングをしている姿は容易に想像できる。「端正な顔立ちをし、陰鬱な雰囲気を漂わせた若者で、声は長輔祭のように低く、拳はボクサーそのものだった」と、マヤコフスキーはこのように描写されている。実際、彼は2年間ボクシング部門で練習していた。フックを打ち込むその思い切りのよさは、詩を書くときと同じほど断固たるもので、かつてサンドバッグ代わりに使われていたぼろ布入りの袋を、激しい打撃で破ってしまったことさえあった。

 マヤコフスキーはボクシングに詩を捧げてもおり、「私は殴り合いなどしてはならない。ひとたび始めれば、相手を殺してしまう」と告白している。もっとも、実際には拳を振るうこともあった。恋人リーリャ・ブリークに言い寄っていた男のひとりをひどく殴りつけ、そのあとで、あざだらけになった自分の手を皆に見せていたという。