ボリシェヴィキがソ連人民のために作った服とは(写真特集)
1917年、ボリシェヴィキは新国家建設とともに、新たな社会の創設に乗り出した。その暮らしも意識も、ほぼゼロから作り直されることになる。ソビエト市民が着るべき服装についてさえ、最高レベルでの議論がなされた。革命後の数年、新体制を熱烈に歓迎したアヴァンギャルド芸術家たちは、この分野においても政権に協力した。ソビエトの最初期のデザイナーの1人となったのが、アーティストのヴァルヴァラ・ステパノワ。写真家・芸術家のアレクサンドル・ロトチェンコの妻である。彼女はプロレタリアの服装として、快適性、端正と厳格さを主な基準として提唱した。
ステパノワは、「生産服(プロズオデジダ)」、すなわち労働用の仕事着をデザインした。幾何学的なデザインとアヴァンギャルド芸術の気風に沿ったプリントの生地を編み出し、裁断方法は最大限に単純化され、装飾性を排した装いだった。
ヴァルヴァラ・ステパノワ(1894~1958年)、自らのデザインによるプリント柄の頭飾りを着けて
「服のデコレーションと装飾という側面は、“各生産における機能のための目的に沿いかつ快適であること”というスローガンの前に排除される」と、ステパノワは雑誌「レフ」の1923年の記事で述べている。同じ号には、自らのデザインのスケッチも公開している。
ヴァルヴァラ・ステパノワによるスポーツウェアのスケッチ、1923年
ステパノワによるデザインの服は、女優のエヴゲニヤ・ジェムチュジュナヤがモデルとして着用した。
モスクワきってのモダンガールであったリーリャ・ブリックも、ステパノワの服を着ていた。
夫のロトチェンコも、妻によるデザインの服を着て撮影されている。
アレクサンドル・ロトチェンコ(ヴァルヴァラ・ステパノワによる衣装デザイン)
ステパノワが描いた服のスケッチとデザイン画は100を超えるが、彼女は一介のデザイナーという立場ではなく、ソビエト政府の美術参与会にも属し、後には様々な美術課程で教鞭をとった。1920年代、彼女のデザインによる模様の更紗生地はかなりの量が生産された。
ヴァルヴァラ・ステパノワ。布地のデザイン、1924年
しかし1930年代になると、ステパノワの挑戦も終了する。政権は、アヴァンギャルド芸術家たちの奇矯な発想を不要と判断し、規格化を求めるようになったのだ。