日露戦争終結から10年も経たないうちに、ロシアは第一次世界大戦に参戦した。
これほど詳細にフィルムに記録された戦争は初めてだっただろう。
塹壕での日常。
武器についての話し合いと爆発装置の検査。
連隊の芝居。
兵士たちの気晴らし。
戦いの前には、司祭たちが祝福を与えた。下の写真のようにクリスマスの祈祷を行うこともあった。
航空機も撮影された。
写真は、飛行船に乗っているジョージ・ミューズだ。このイギリス人は、ロンドンの新聞「デイリー・ミラー」で働いていたが、ロシア帝国軍の公式写真家の地位を得た。
ミューズは、野外の賄いの写真も撮った。
彼は、アレクセイ・ブルシーロフ将軍も撮影している。
皇帝ニコライ2世は、軍事作戦に積極的に関わった。自身、しばしば前線へ出向いた。
この間、軍服姿の皇帝がよく見られた。ちなみに彼は、息子で皇位継承者である皇太子アレクセイをよく同行させた。
看護コースは非常に人気となり、多くの女性が卒業して、負傷者の看護を始めた。
皇后とその年長の娘たちも、将兵の看護にあたった。
彼女たちは、自ら傷の手当てもした(下の写真参照)。また、皇宮には、将校のための病院も設けられた。
ペトログラード(現サンクトペテルブルク)の徴兵委員会。
第一次世界大戦中、ロシア帝国では、慈善活動が盛んに行われた。前線の必要に応じて、国全体で資金と物資を集めた。下の写真は、ウラルのミアス市で行われた募金集会の1つだ。
その間、ロシアのアヴァンギャルド(前衛芸術)は、頂点に達しようとしていた。1915年の主な出来事は、カジミール・マレーヴィチの「黒の正方形」で、初めて展覧会で発表された(家庭でイコンが飾られることが多い「赤い角」にかけられている)。
この頃は、詩人ウラジーミル・マヤコフスキーの創作活動の全盛期だった(写真では、彼のミューズであるリーリャ・ブリークといっしょに写っている)。
時代の顔。女子ギムナジウムの生徒たち。
ロシアの風景。ニジニ・ノヴゴロドのバザール。
アルザマスのスパスキー修道院。
モスクワの木造の屋敷。
クリミア。バフチサライのハーンの宮殿近くの通り。
ペトログラード(現サンクトペテルブルク)の象。
新世代の女性。彼女は、雑誌『自動車』のアンドレイ・ナゲリ編集長の妻だ。ペトログラード(現サンクトペテルブルク)の冬宮にて。