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第三帝国降伏後の、赤軍とナチスの戦闘

1945年5月8日、ベルリンにてドイツは無条件降伏した。だが、ヨーロッパでの戦闘がこれで終結したわけではない。

 翌日にはソ連軍の小規模な部隊がデンマークのボーンホルム島に上陸。島には1万1千のドイツ兵がいたが、ソ連ではなく西側連合軍相手にしか降伏しないと宣言した。上陸部隊は戦闘の末に港と電信局を占拠し、ドイツ軍部隊の通信を遮断した。航空兵力を投入するとの通告を受けて、ついにドイツ軍は降伏。ソ連軍は30人の戦死者を出した。西側への撤退が間に合わなかったドイツ国防軍とSSの数個師団は、5月9日時点でもプラハで抵抗を続けていた。同日午後4時頃に鎮圧されるも、ソ連軍は1000人近くを失った。

 5月11日と12日、ソ連軍とチェコスロバキアのパルチザン部隊は米国第3軍の火力支援を受けつつ、スリヴィツェ村付近で約7千人のドイツ軍部隊を撃破。司令官の親衛隊中将カール・フォン・ピュックラー=ブルクハウスは自殺した。連合軍側の損失は70人とされる。同じ頃、ラトビア西部では約25万人のクールラント軍集団が抵抗を続けていた。5月8日からはドイツ軍将兵の投降が相次いだが、大部分は船でドイツ本国かスウェーデンに逃亡するか、陸路を東プロイセンに抜けようとしていた。

 5月22日、武装SS第6軍団の残存兵300名が突破を試みたのが、クールラントにおける最後の大規模戦闘であった。試みは失敗に終わり、指揮官の親衛隊大将ヴァルター・クリューガーは自決した。