ワルシャワ条約機構

Keystone-France/Gamma- Keystone/Getty Images ポーランド首相ヨゼフ・チランキエヴィチ ワルシャワ条約への調印、1955年5月14日
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ちょうど70年前、1955年5月14日に誕生したのが「ソ連版NATO」、ワルシャワ条約機構である。この日、ポーランドの首都ワルシャワで欧州の社会主義国が友好・協力・相互援助条約を結んだ。

 

ポーランド通信社による写真の複製 プリント/Sputnik ワルシャワ条約調印、1955年5月14日
ポーランド通信社による写真の複製 プリント/Sputnik

 この政治的・軍事的同盟の設立は、西ドイツのNATO加盟への対抗措置だった。西ドイツのNATO加盟は、1945年のポツダム会談で連合国が合意したドイツの非軍事化という原則に違反するものだった。

Keystone-France/Gamma-Keystone/Getty Images
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 ワルシャワ条約機構に加盟したのはソ連、東ドイツ、チェコスロバキア、ブルガリア、ルーマニア、ポーランド、ハンガリー、アルバニアであった。中心となったのはもちろんソ連で、統合軍の総司令官は全員がソ連の軍人だった。

セメリャク/Sputnik ドイツ民主共和国/ソ連とワルシャワ条約機構諸国の軍事演習「武装兄弟」。
セメリャク/Sputnik

 1961年に、アルバニアはソ連と揉めて事実上の脱退。7年後に正式に脱退が承認された。

ニコライ アキモフ/タス通信 ドイツ民主共和国/ワルシャワ条約機構加盟国による軍事演習 「Brotherhood in Arms 」の軍人たち/1970年10月
ニコライ アキモフ/タス通信

 ワルシャワ条約機構にとって最大の試練は、1968年のいわゆる「プラハの春」だった。チェコスロバキアにおける抜本的改革と自由化の時期であったが、影響下からの離脱を懸念したソ連が主導して8月21日、「ドナウ作戦」が開始される。

イリ・ヴォイタ / MAMM / MDF、1968年8月
イリ・ヴォイタ / MAMM / MDF、1968年8月

 ルーマニアを除く全加盟国がチェコスロバキアに軍隊を派遣し、国内の主要施設を占拠。アレクサンデル・ドゥプチェク政権は政策路線の変更について交渉に応じざるを得なくなった。

マリシェフ ニコライ/タス通信フォトクロニクル 部隊の現地視察、ソ連、1981年 9月 1日
マリシェフ ニコライ/タス通信フォトクロニクル

 ワルシャワ条約機構はたびたび軍事演習を行い、中でも1981年の「ザーパド81」は10万人以上を動員した最大規模のものだった。

写真複製、ドロフェイ・ゲトマネンコ/Sputnik、1982年9月25日~10月1日 ブルガリア人民軍上等兵のレギュレーター M.スタヴレフ
写真複製、ドロフェイ・ゲトマネンコ/Sputnik、1982年9月25日~10月1日

 1980年代末の東欧の社会主義陣営崩壊を受け、ワルシャワ条約機構も消滅。1991年7月1日に正式に解散した。やがてかつての加盟国は、それまでの敵陣営だったNATOに加盟していった。

ドロフェイ・ゲトマネンコ/Sputnik ワルシャワ条約国連合軍部隊の「シールド-84」演習。
ドロフェイ・ゲトマネンコ/Sputnik
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