
ワルシャワ条約機構

ちょうど70年前、1955年5月14日に誕生したのが「ソ連版NATO」、ワルシャワ条約機構である。この日、ポーランドの首都ワルシャワで欧州の社会主義国が友好・協力・相互援助条約を結んだ。

この政治的・軍事的同盟の設立は、西ドイツのNATO加盟への対抗措置だった。西ドイツのNATO加盟は、1945年のポツダム会談で連合国が合意したドイツの非軍事化という原則に違反するものだった。

ワルシャワ条約機構に加盟したのはソ連、東ドイツ、チェコスロバキア、ブルガリア、ルーマニア、ポーランド、ハンガリー、アルバニアであった。中心となったのはもちろんソ連で、統合軍の総司令官は全員がソ連の軍人だった。

1961年に、アルバニアはソ連と揉めて事実上の脱退。7年後に正式に脱退が承認された。

ワルシャワ条約機構にとって最大の試練は、1968年のいわゆる「プラハの春」だった。チェコスロバキアにおける抜本的改革と自由化の時期であったが、影響下からの離脱を懸念したソ連が主導して8月21日、「ドナウ作戦」が開始される。

ルーマニアを除く全加盟国がチェコスロバキアに軍隊を派遣し、国内の主要施設を占拠。アレクサンデル・ドゥプチェク政権は政策路線の変更について交渉に応じざるを得なくなった。

ワルシャワ条約機構はたびたび軍事演習を行い、中でも1981年の「ザーパド81」は10万人以上を動員した最大規模のものだった。

1980年代末の東欧の社会主義陣営崩壊を受け、ワルシャワ条約機構も消滅。1991年7月1日に正式に解散した。やがてかつての加盟国は、それまでの敵陣営だったNATOに加盟していった。
