
ノヴォデヴィチ、モスクワを代表する修道院についての7項目

1.ロシアの500年の歴史を学べるスポット



年代記によると、修道院の創建は1524年。モスクワ大公ワシーリー3世がリトアニアからスモレンスクを奪還した10年後のことである。建設場所に選ばれたのは、モスクワ川の氾濫しやすい湾曲部に広がるデヴィチエ草原。スモレンスク大聖堂だけは石造りで、他の建物は全て、長い間木造だった。そのため、修道院は何度も火災に見舞われ、崩壊と再建を繰り返した。ポーランドの侵攻を生き延び、ナポレオン戦争時はすんでのところで爆破を免れ、革命後は修道院としての機能を停止し、第二次大戦後に礼拝を再開した。
2.皇女達が幽閉された場所

そもそもノヴォデヴィチ修道院は、不都合な妻を収容する目的で創建されたとする研究者達もいる。そう考えれば、ワシーリー3世が1514年にスモレンスクを奪還したのに、修道院の建立に着手したのが10年後の1524年という事も説明がつく。妻のソロモニヤ・サブーロヴァとの間には20年近い結婚生活でついに世継ぎができなかった。ワシーリー3世は権力が甥達に渡るのを怖れて、離縁を画策した。結果、彼女は強制的に剃髪させられて修道女にされた。しかし、ノヴォデヴィチ修道院に入ることなく、スズダリのポクロフスキー修道院で暮らして死んだ。ワシーリー3世はまもなくリトアニアの貴族の娘エレナ・グリンスカヤを妻に迎え、後にイワン雷帝となる男児をもうけた。
イワン雷帝の頃、ノヴォデヴィチ修道院はいよいよ「帝室付きの」修道院となり、皇帝の親族女性たちが暮らすようになった。イヴァン雷帝の弟でウグリチ公のユーリー・ヴァシリエヴィチの未亡人イウリアニヤ、雷帝の子イヴァン・イヴァノヴィチの未亡人エレナの2人である。
しかし、ノヴォデヴィチ修道院と最も強く連想される皇女として人々の記憶に残るのは、ピョートル1世の姉ソフィヤ・アレクセーエヴナで間違いない。まず何より、彼女は修道院の建設に大きな役割を果たしている。彼女によって鐘楼や新たな教会、僧院の食堂が建設され、塔が再建された。さらに1689年にソフィヤが失脚すると、ピョートル1世は彼女をノヴォデヴィチ修道院に幽閉し、強制的に剃髪させて修道女にした。さらに、彼女を支持する銃兵隊の反乱が起きると、彼女の僧房の窓の前に首謀者たちが吊るされた。彼らの亡霊は今もノヴォデヴィチ池の周辺をさまよっているとされる。
皮肉なことに、ソフィヤが幽閉されていた塔は、現在では奇跡を起こす塔とされている。人々(主に女性)は秘密の願い事をするために、聖地とされるこの塔を訪れる。漆喰に願い事を書いたり、レンガの隙間に願い事を書いた紙を差し込んだりする。
3.ボリス・ゴドゥノフの即位にも関わる


貴族たちはボリス・ゴドゥノフに即位を打診すべく、3たびノヴォデヴィチにやってきた。1598年1月、フョードル1世イオアノヴィチの死後9日目にその未亡人にして後継者のイリーナ・ゴドゥノワ皇妃はクレムリンから修道院に移り、事実上退位した。この時、兄のボリス・ゴドゥノフも同行している。1か月後、妹の祝福を受けたボリスはノヴォデヴィチ修道院内のスモレンスキー大聖堂でツァーリに選出された。こうした経緯もあって、ボリス・ゴドゥノフの在位中、修道院は隆盛を極めた。スモレンスキー大聖堂は新しいイコノスタシスを得て、イコンは高価な縁飾りを加えられ、フレスコ画も一新され、やもめとなった皇妃のためには広大な僧房が建設されてイリーニンスキエ邸と呼ばれた。
4.ロシア・バロック様式の傑作、鐘楼

鐘楼は1690年頃に建設されたもので、高さは72メートル。建設当時はクレムリンにあるイワン大帝の鐘楼(81メートル)に次いで高く、モスクワでもトップクラスの高層建築として遠方からも良く見えたという。18世紀ロシアの建築家ワシリー・バジェーノフはこの鐘楼を、
「イワン大帝の鐘楼は一見の価値があるが、ノヴォデヴィチ修道院の鐘楼は、見る目のある者をいつまでも魅了し続けるだろう」
と絶賛している。鐘楼は分厚い壁で構成されているが、その外装は6層全てで異なるデザインの白い窓框が特徴的で、繊細な印象を与えている。
5.ロシアで最も崇敬されるイコンが安置されている

この聖母イコンの写しがビザンチンからルーシにもたらされたのは1046年、アンナ・モノマフ王女によってである。彼女はチェルニゴフ公フセヴォロド・ヤロスラヴィチの妻となり、その息子のウラジーミル・モノマフが1095年にイコンをチェルニゴフからスモレンスクに移し、イコンのために1101年に木造の至聖生神女就寝聖堂を建立した。1404年にスモレンスクがリトアニア大公国に占領されると、イコンはモスクワに移されて1456年までクレムリンのブラゴヴェシェンスキー大聖堂に置かれた。スモレンスクの奪還後はイコンも帰還し、その際に写しが制作されてクレムリンのブラゴヴェシェンスキー大聖堂に納められた。ノヴォデヴィチ修道院のスモレンスクの生神女イコンはクレムリン版からの写しで、16世紀中頃の制作である。
6.バーバラ・ブッシュからの贈り物がある

作家ロバート・マックロスキーはアメリカの子供達に大人気で、その知名度はロシアにおけるアグニヤ・バルトのそれと比肩し得る。特に子供達に人気なのが、母鴨が子鴨たちに道路を渡らせる『かもさん おとおり』だ。この人気を受けてボストンのパブリックガーデンでは1987年に鴨の親子像が設置された。1991年、ミハイル・ゴルバチョフとライサ夫人は公用でボストンを訪れていた。ライサ夫人は鴨の親子像を気に入り、バーバラ・ブッシュは夫人に像の複製をプレゼントした。この像はノヴォデヴィチ修道院の庭園内、池のほとりに設置された。
7.今も現役の修道院



ユネスコ世界遺産にも指定されている築500年の史跡だが、現役の女子修道院でもある。現在も修道院長がおり、修道院内に暮らすおよそ30人の見習い修道女たちが庭園や温室を管理し、イコン工房や裁縫工房で働き、ニワトリを育てている。また修道院内には、困難に陥った若い母親たちのためのシェルターもある。