宗務院がこれらのイコンを禁止した理由とは?

1767年夏、ヴォルガ河を旅したエカテリーナ2世に、イコンが献上された。そのイコンを一目見た女帝は、ただちに宗務院の主席検事官に手紙を書き、イコン職人たちがヴォルガの職人を真似て、聖人に手足を何本も余計に描くことを危惧していると伝えた。

 女帝に献上されたイコンは三位を主題としたものだったが、その描写は一風変わっていた。そこに描かれていたのは4つ目の生物で、1つの身体から父なる神と子なるキリストと精霊の3つの頭部が生えていた。これはいわゆる位格集合型のイコンで、ロシアには西洋から18世紀に伝わったものだった。三位一体のこうした表現方法は、西洋では12世紀から存在していた。

スヴェルドロフスク州立郷土博物館
スヴェルドロフスク州立郷土博物館

 カトリックの聖画絵師たちは三位を同じ造形で表現するか、もしくは3つの頭部を持つ造形で表した。これは、聖霊が父なる神とも子なる神とも交わる三位一体のものであるということを、農民にも理解させるための手法であった。ヨーロッパではこうした「3つ頭」の像は1545年のトリエント公会議を含め、何度も禁止されてきた。1628年、ローマ教皇ウルバヌス8世はこれらの図像を異端であると決した。複数の顔を有する異教の神に、あまりにも似すぎていたのである。

個人コレクション
個人コレクション

 位格集合型のイコンがロシアで禁止されたのは1764年。醜く、宗規に反しているのが理由とされた。正教では、人間の姿に描いて良いのはキリストのみなので、父なる神と聖霊は人間の姿に藉身されないので、人の姿に描いてはいけない。宗務院は、いかがわしいイコンを直ちに撤去し、然るべき伝統に則って描き直すよう命じた。しかしそれでも、数点は現在まで伝えられた。例えば、スヴェルドロフスク郷土博物館には1729年制作の位格集合型イコンが保管されているが、これはチュメニの生神女福音大聖堂に置かれていたものである。