85年前、首都攻防戦「モスクワの戦い」が始まった

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1941年9月30日、ハインツ・グデーリアン率いる第2装甲集団がソ連の首都モスクワに向けて進撃を開始した。その2日後には、ドイツ中央軍集団の主力部隊も動き始めた。こうして、モスクワ攻略を目的とするドイツ軍の「タイフーン作戦」が始まった。

 決定的な攻勢に向け、ドイツ軍は当時東部戦線に展開していた兵力のほぼ半数にあたる180万人を集中させた。これに対し赤軍が擁していたのは、それまでの戦闘ですでに大きく消耗していた120万人の兵士であり、彼らは幅600キロに及ぶ戦線を守らなければならなかった。ソ連軍は攻撃を迎え撃つため懸命に準備を進めていたが、「タイフーン作戦」が始まるまでに強固な防御線を完成させることはできなかった。

 ソ連軍司令部の予想に反して、ドイツ国防軍はミンスク―モスクワ街道に沿った最短経路を進むことはせず、機械化部隊には通行が困難と考えられていた地域で、ソ連軍各部隊の接合部を狙って複数の強力な攻撃を加えた。そしてソ連軍の防御を突破し、その後方へ進出することに成功した。

 撤退命令が出された時には、すでに手遅れだった。数十万人のソ連兵が包囲網、いわゆる「釜」の中に取り残された。包囲から脱出しようとする過程で、師団によっては兵員の90%を失うほどの損害を被った。

 この壊滅的な敗北によってソ連軍の防御線には大きな穴が開き、手元にあるあらゆる兵力を戦闘に投入せざるを得なくなった。軍学校の士官候補生までが前線に送られた。

 首都モスクワでは数日間にわたってパニックが広がり、市民の脱出、略奪、強盗なども相次いだ。

 11月30日、ドイツ軍はクレムリンからわずか30キロのクラスナヤ・ポリャナを占領した。ドイツ軍の司令部は、赤軍はもはや事実上壊滅したと確信していた。

 しかしドイツ軍の将軍たちは、自軍もまた極度に無理を重ね、ソ連軍の激しい抵抗によって疲弊しきっているという事実を軽視していた。さらに彼らは、モスクワ市内に新たな予備兵力が集結しつつあることをまったく把握していなかった。

 12月5日と6日、複数のソ連軍方面軍が、敵の予想を裏切って大規模な反攻に転じた。突然の攻撃に衝撃を受けたドイツ国防軍は押し戻され、モスクワから100~250キロ後方まで後退した。一部の戦線では、その撤退はパニック状態の敗走へと変わった。

 激怒したヒトラーは、複数の軍司令官を更迭した。その中にはグデーリアンも含まれていた。彼は後に回想録の中で、次のように記している。

 「モスクワへの攻勢は失敗した。われわれの勇敢な部隊が払ったすべての犠牲と努力は、無駄に終わった」